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ある夏の恋の終わり

23歳から25歳くらいの頃の話。

縦長のワンルームの部屋は、ボロボロに錆びた非常階段のほどなく近くにあり、六階だか七階だかにあったので
風通りもよく、景色も良く、そこでタバコを吸いながら、ボーッとするのが好きだった。
目の前には大きな川が流れ、その川に沿って道路が走り、車と人とキラキラした水の流れを眺めながら、空を仰いで、口の端から煙をくゆらせる時間はとても有意義だった。

とはいえ、休みの日ですら共に行動しようとする恋人が私をなかなか1人にしようとしなかったので、その時間を持つことはいささか難しいことではあったが。

小さなベンチャー企業を二十も歳が上の男性と立ち上げ、公私共に右腕となった私は、朝も昼も夜も働き続け、休日も彼に束縛され、心身疲弊し辟易していたのだが
常に共にあるビジネスパートナーを無碍にすることが出来ず、何度別れようとしても別れてくれない社長に、もはやお手上げ状態だった。
そして私自身、彼を嫌いになりきれず、情と仕事という浅い絆で私たちの関係は長らく繋がっていた。
彼は私に業務の全てを任せていたし、私もまた優秀な右腕として全てを担っていた。いつの間にか大きな会社になり、スタッフの数も増え、私はかなり大きな責任を持つ立場となっていた。

日付が変わるまで毎日仕事をし、その後、私の部屋で彼と激しいセックスをする。
彼は何時間もかけて私の体を骨抜きにし、失神しそうになるほどの絶頂を数え切れず味わわせてから、ようやくひとつになる。
仕事でも、セックスでも、毎日がクタクタだった。
疲れて眠ってしまい、部屋が青く白み始めるころ、彼は観念したようにベッドをそっと抜け出し妻子ある家へと帰っていく。

行く末、決して結ばれることのない関係だと言うことが徐々に重みを増して、辛くなってきた頃、彼にこんなことを言われた。

2人の家を借りよう。
俺の子を産んでほしい。
俺が帰るのを毎日待っていて欲しい。

私は何ヶ月も真剣に考えた。
愛人として生きる覚悟を。
本気で家も探した。
でも、最終的に親の顔が浮かんで無理だった。
自分の子を、堂々と父親に見せてあげられないということが、私にストッパーをかけた。
経済的に彼から援助を受けたとしても、たった1人で愛人の子供を育てるということが、世間的にどれだけ大変か、想像しなくても分かった。

何よりいつ帰ってくるか分からない彼を待ち続ける人生は、私には送れないと思った。
その時点で、その恋は本当は終わりだった。
でも、その後もきっぱり社長と別れることが出来ないまま、仕事は続き、わたしには彼氏ができた。

鴨川のスタバで、彼と初めて出会ったその時から。
私は彼に触れたくて触れたくてたまらなかった。
その大きな手を取り、ぎゅっと握り締めたかった。
いつまでもいつまでも、彼の顔を見つめていたかった。
これが一目惚れというやつか、と笑ってしまうくらいに。
震えるほど彼に触りたいのを我慢して、二度目のデートでセックスをした。
彼のセックスは、まっすぐで、健康で、とても愛しかった。

私は社長と距離を置こうとした。
正直に言えばいいものを、彼がどれだけ嫉妬に狂い、わめき、職場で私を虐め抜くかをたやすく想像し、核心に触れないよう、ただ別れたい旨を訴えたが、もちろん逆効果になってしまった。
社長は離れようとする私の心をやっきになって捕まえようとし
夜な夜な合鍵で勝手に部屋に入ってきて、脳天がしびれるようなキスをして、私を抱こうとした。その度に私はうまく断りきれず、情けなくだらだらと股の間から透明な液体を漏らし、結局いつも彼を受け入れることとなってしまう。

ある日、社長が部屋に勝手に来てテレビを見ている時に、彼氏が部屋に合鍵で入ってきた。
私はシャワーを浴びていたのだが、慌ててバスタオルで身を包み、濡れたまま彼氏を外に押し出した。
彼氏は全てを悟った上で、笑ってドアの前から動こうとしなかった。
私は泣いて頼んだ、お願いだからそこをどいて欲しいと。

本当に大好きな彼氏に、泣きながらどいてと言うのは、全くもって真反対の気持ちで、ちゃんちゃらおかしかった。
本当にどっか行って欲しいのは社長なのに
私は泣きながら彼氏に、どこかへ行ってとお願いしていた。

いやほんとおかしな話だ。

結局彼氏は少しの間だけ席を外してくれて
その間に社長は私の家から逃げ出すことに成功した。

私は社長には、兄が急に遊びにきた、とまた嘘をついていた。

こうして、何もかもがダメになってしまった。
私は本当に好きだった彼を失い、仕事のモチベーションを失い、なによりも、人生ではじめての失恋をした。

彼氏はとても優しい人だった。
何も責めなかった。

ただ、最後の日、共に過ごしてくれた。
何もかも知っていたと言って。
私が社長と付き合っていたことも
社長と離れられずにあがいていたことも。
その上で、期待して私を待っていてくれていたのだと言う。

それなのに、私はいつまでも2人との関係を続けようとしていた。
最低すぎる。

彼氏との最後の夜は、何も核心にふれず、何も話し合わず、ベッドで2人寝転んだまま、終わりを迎えようとしていた。

私は、彼を失うことに耐え切れず
ベッドを抜け出して、肌寒いあの非常階段に行った。

朝焼けを見つめて、泣いた。

彼を失うことは自業自得だったので、
彼に何も言えず、彼も何も言わず、喧嘩もできず、苦しかった。

気がついたら彼氏が横に立っていた。
ベッドにいない私に気づき、心配して探しに来てくれたのだ。
泣いてる私を見て、彼はそっと横に立って景色を見た。

何か言って欲しかった。
ボロクソに責めて欲しかった。
むちゃくちゃになじって欲しかった。
でも、彼は優しく私の手を取り、部屋に戻した。

こうして、彼氏とは終わった。

1ヶ月ほど、彼を想い、胸をかきむしるような日々が続いた。
コレが失恋か、と笑ってしまうくらいに。
この苦しみがいつ終わるのか、グーグル先生に聞いてしまうほど、苦しかった。
夜な夜な、あの非常階段へ行っては立ち尽くした。

あの時、彼が私を責めなかったことが、かえって私を未だに苦しめている。
優しさとは、凶器だ。

情けないことに、社長とは最後まで切れることができず、退職届を社長室の机に置いて実家に逃げ帰るまで関係は続いた。

社長との関係は、2年間。
彼氏との関係は、何ヶ月だっただろうか。
季節をまたぐことも無かった。
それでも、私はあの人生で最初で最後の失恋を大切に胸にしまっている。

自戒を込めて。

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