執着をなくすことは「し」に近づくこと
昨日見ていたyoutubeの生配信。
森山直太朗さんが大好きなんですけど、その高校時代からの友人で楽曲の教作者でもある御徒町凧(おかちまちかいと)。詩人であり、最近はもっぱら?YouTuberオカチャンネルとして活動、な彼の生配信を見てました。
ハプニングというかサプライズが色々でとっても楽しい回だったんですけど、その中で「執着」について語っている内容が印象的だった。
私自身、執着が非常に薄いタイプの人間だと思います。
たとえば散々悩んで買ったバッグ。その後にまた別のバッグを見かけた時どう思うか。
「この色の方が好きかも」
「大きさこれくらいの方が便利だったかな」
「こっちの方が安かった」
こういうことを全く感じないんです。もうそれ買っちゃったらそれしか目に入らない。あとは昔は良かった〜みたいなことも全然思わなくって、過ぎ去ったもの、無いものに関心が向かないのです。
ただ、それって良いことだけとも思ってなくて。執着がなくなると、あらゆるものへの関心が薄まって「死」に近づいているような感覚になるから。悟りを開いたって言えばかっこいいのかもしれないけれど...笑
で、昨日のオカチャンネルでも、好きだったサウナに行けなくなってどうしたら良いかという質問から執着の話になった。
執着が無い状態をどうやったら作れるか、それは時間感覚だと思う。執着は「〜すれば良かった」っていう感覚で、それを俺は根本的にしない質で。
まあ、あえてオカチャンネルで言うなら詩。詩と向き合うっていうのは本当にそういうことでしかなくて、今この瞬間にどれだけ強くフォーカスを当てるかっていうこと。それが過去と未来に繋がる、生むっていう。
私にとって死だったものが、彼にとっては詩なんだ。私にとっては無だったものが、彼にとっては今ここの全てだったんだ。
「今ここ」にフォーカスするって、カウンセリングでもよく使う言葉なのにな。それによる過去からの解放と心の安らぎは実感していたはずなのに、目に見える景色がぜんぜん違うものに思えてくる気がした。もう少し見つめていたら詩になるかも、しれない。
そんなわけで、みんなオカチャンネル見てね!チャンネル登録もぜひ。
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