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父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ20210〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP23

エピソード23
怒りん坊になった父とどう向き合うか

2018-02-09

小さな悩みのひとつは最近ちょっと怒りん坊になった父のこと。
仕事に集中してるときに電話してきて、すでに終わってたはずにことを「あれはどうなってる?」と交戦的に持ち出されると、
こっちも余裕がないからつい「何言ってるの?」という態度になり、
最後はお互い大声になってガチャッ。
後味悪いこと山の如しなことがここ何度かあった。

父の怒りの矛先は、戦死した兄に出る弔慰金のこと。
昨年秋さんざん苦労して何度も役場に行って手続きして、結果が出るまで1年ほどかかると伝えていたのだけど、本人は納得してなかったようで、
自分は遺族会に入っていて前はそんな扱いじゃなかったのになんでだ!  
と怒り心頭となっていたよう。
さてどうしたもんかなぁと気が重く、でも、怒りに怒りで向かうと悪循環になるから、東名ぶっ飛ばし~のでアースをノリノリで歌いつつ、
作戦立てつつ本日定期訪問を敢行しました。

まぁ父は元来サッパリしてるので部屋に入ったときは笑顔で、古賀政男曲集の歌詞を大きくコピーしてほしいと言う。
「そんなことはおやすいご用です」と私が言ったところで、
父は例の話を切り出してきた。
キター! と思った私はすかさず作戦実行。

まず、膝をついて車椅子目線と同じになり、
優しく腕を叩きながら「うん、それね、私もどうしたらいいか悩んじゃってる」と言ってみた。
すると「まずお父さんの言うことをちゃんと聞いてほしいわけよ」と父の態度が軟化。で、昔の遺族会がどんなによくしてくれたかの話。
いつもと同じ話で、今回の手続とはまったく関係ないんだけど聞きましたよ。

「そうだよね。橋本龍太郎がいた頃は政府も遺族会のことを一生懸命やってたからね」と相槌を打ちながら。
と、そこで、「でもね、橋本龍太郎がいなくなってその制度が一旦終了したのね。今回はそれから何年も経ってそれが復活して、人も何も入れ替わったから、一から手続きをしなくちゃならなくなったの」と正確ではないけど、
当たらずも遠からずのことをゆっくりと目を見ながら話した。

そしたら、「ああ、そうだったの。お父さん、それ知らなかったから。そうか。悪かったね」と納得してくれた。
「いや忘れてるだけなんだけどね」と心の中で突っ込んだけど(笑)。
っつーわけで、作戦無事成功し、ひとつスッキリした。

実は、実家のお正月の宴の翌日、独居の叔母が倒れて入院して、
親戚みんなでのケアが始まった。
ケンカしつつも毎週会いに来ては、一緒に詩吟を歌ってくれていた元気な妹が急にいなくなり、父は寂しいのと同時に、
私をはじめみんなの気が叔母に向いていることで、自分がどこかないがしろにされてる感覚があったのだと思う。

私が旅行に行く話をするときなどもそう。笑顔で「気をつけて行ってらっしゃい」と言うけれど、大抵その数日後に怒りん坊になる。
「人は孤独を感じるとクレイマーになるものだよ」と相方に言われて、なるほど~と思ったけど、理不尽に怒られると腹が立つから、
父の気持ちの奥までを察して優しく対応することができなかった。

でも、今日の作戦が成功したことで、これからは少しは柔らかく解決できそうな気がしてきた(笑)。
そんなことか! ということなんだけどど、なかなかねぇ。

ひとりランチを食べながら、本日の機微を記録。
仕事からも家族からも離れた、たった一人のこんな時間が大事だよね。
頭と心の整理ができました~。さてと、次!

2018-04-13

今日は午後から父の皮膚科のお供。
いつもの優しい女医さんに「3ヶ月ぶりですね。お元気ですか? ずいぶんよくなりましたね」と笑顔で言われ、
象牙のオブジェのようになった足の爪まで丁寧に切ってもらってご満悦。
帰ってくると、ケアハウス隣接の保育園に鯉のぼりが泳いでいました。
毎年のことであっても、季節を感じるって大事だね。

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