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真似されてイラっとしてる場合じゃない

昨日は88人セッションチャレンジの1人目のセッションでした。

とてもユーモアのセンスとアイデア力のある人。Aさんとします。この方は、自分のアイデアや自分の笑いのとるパターンをぱくられるといらっとくるということ。

これからライフワークでもっと外に出ていくので、この感情のバランスを取れたらなというのがセッションの入り口でした。

真似される、パクられるといらっとするっていうのは、多くの人に経験があると思う。自分のオリジナリティを侵害された気がするし、考えだした自分より真似した人のほうが上手にやっていたり、うけていたりすれば、なんだよ~~~となってしまう。

このAさんはそういうことがあると、裏切られた感があるという。

でもこういう真似される人って、真似してくる人に嫉妬している場合じゃないんだよねえ。真似されることが多いということは、人が面白い、やってみたいと思うものを生み出す力があるってこと。つまりヒットメーカー。

ブームをうんじゃう人。

それを真似した人にいらっとくるってどういうことかというと、秋元康さんとかJ.Y. Parkさんが、自分の手がけた少女グループの真似するファンたちに真似すんなって怒っているようなもの。気にする相手が違う。

そこに怒ることにエネルギー使っていると、そのうち、真似されるのがいやだから作らない、とか発表しないとかになっていく。

気にすべきは、嫉妬すべきは、別のものをクリエイトしている人たち。別のオリジナルなもので人に真似されている人たち。別のものでヒットを作っているひとたち。

立つべき土俵が違う、戦う相手が違う。目線をさげて自分の価値を下げてんじゃねえって思ったのでそう伝えました。

え、自分てそうなの?って、そっちのポジションなの?って言ってたけど、本当は心ではわかっているはず。でもまじで勝負しなきゃいけない方の土俵に上がるのは怖い。真剣勝負。こんどは負けるかもしれない。負けたら、自分のクリエイティビティなんてたいしたことないな、ってわかっちゃうかもしれないから。

実際は、比べようがないから負けることもないんだけどね。ゴッホとモネを比べてもどちらかに勝敗つけられないのと同じで。

と、ここまでは思い込みの書き換え。自分がもっててそれで自分を縛っている考え方、見方、自分の価値に気づきもういらないね、って書き換えるあるいは手放す。

ところが、考えを書き換えても、真似られるパクられるのにどうしても心が揺れてしまうのもよくある。これは心の問題。

だいたいは子どもの頃の傷ついた体験がもとになっていて、カウンセリングやヒーリングでゆるしのワークなどをやって癒された気がしていても、一定の出来事につい感情が反応してしまう轍のようなものが残っている。

このAさんは、忙しかったお母さんに自分の存在をアピールしてこちらを向いてほしかった、お母さんに笑ってほしかった。お母さんからの反応がなかったからその分、余計に周りの友達や大人たちに自分の存在をアピールしないと、自分の存在価値が消えてしまう恐怖があった。

だから、人を笑わせたり、オリジナルなアイデアを考えたりした。これはいわば、生き残っていくためのAさんにとってのなくてはならない策、武器だった。それを何の苦労もなく横からひょいっと奪っていく人がいれば、それは怒って当然。自分の存在価値が脅かされるかもしれないほどの重大な問題だから恐怖をおぼえる。恐いから怒りになる。

でもAさんは、この武器を本当によく磨いて、しかももはやそれは自分を守るためだけでなく、人へ愛を出す形としても使えるほどになっていて。

だから真似ようったって本当は誰もまねることのできないものになってる。もはやアピールしなくても、自然と存在が目立ち人からいじられる愛されキャラになっている。

その今のAさんが、必死で自分の居場所を守ろうとしていた少年のAさんを抱きしめ、少年のAさんが心の鎧を解いたとき、本当の癒しがおきて真似されることを楽しめすらするようになる。

Aさん、なんか涙が出ちゃうと言ってました。子どもの自分と大人の自分がハグすると、涙が出ちゃうんだよね。

88人セッションおひとり目の自分との再会のセッションでした。

自分と再会するセッション無料88人チャレンジしています。気になる方はこちらをどうぞ。



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