人はなぜお金の不安を感じようとするのか
今朝、FPをしている人から60歳独身で年収数千万円というお金持ち女性の話を聞きました。
お金に全然困っていないのに、お金の不安がとても強くて不安で不安でしかたがない、ということでした。
他にも億をかせぐIT社長でも、セミリタイアしたらお金の不安を感じてストレスになった、と言っているのを読みました。
かたや、noteの孤高のクリエイター坂爪圭吾さんのように家もなく貯蓄もなく食事もできなかったり宿をとるお金もなく野宿したりなのに、すこしでもお金が入ると花を買って人に配るという人もいます。
こういう人たちを見ていると、お金の不安から自由になるには、経済活動から切り離された完全自給自足の生活を送るか、経済活動をしつつお金がなくても大丈夫だと「知る」以外ないんだと思います。
あるいは、使っても使っても枯れることがない、なにをやっても使いきれないほどの額のお金が日々わいてくる財源を手に入れるか。
でも最後のはあまり現実的でないですよね。
なので、経済活動に参加しつつ不安から自由になるには不安はつきものなんだとあきらめるか、お金がなくても大丈夫だと「知る」のどちらかです。
そもそも、どうして私たちはお金の不安を感じたがるのでしょう?
感じたがってなんかいない、って思うかもしれませんが、こんなにも常時あるいはしょっちゅう不安を感じるということは、心のどこかでそれを望んでいるからだと思うのです。望んでいるから不安になるような現実を作り出している。
口座の残高がいくらだと不安になるかは、人それぞれ。でもその残高に近づいたりそれよりも減ったりすると、胸がぎゅっと締め付けられるような不安を感じます。
わたしなんて安定収入のサラリーマンではないので、そんなことはしょっちゅうです。
で、思うわけです。何度もこれを味わうということはたぶんこれを味わいたい理由があるはずだって。
むむむ、と考えたけれど思い浮かばない。
そこで今度はお金の不安を感じるのは、なにをさけたいという気持ちが起こしているんだろうって考えました。
お金がなければごはんがたべられないという究極なレベルではない、もっと手前のところで日本人のわたしたちは不安になります。
私たちが避けたいと思っているのは、感情です。なにかの条件で発動するネガティブな感情、それを感じたくないのです。もしなにも感じなければ、避けたいと思わないわけで、そうすれば不安にはならないはず。
では、お金がないと感じそうだなと思う、感じたくない感情ってなんでしょう?その胸がぎゅっとなりながら感じている感情はなんでしょう?
みじめさ、なさけなさ、孤独、いろいろあると思います。
わたしの場合はみじめさでした。お金がないってみじめ。さらにいうと、お金がなくなりそうだからどうしよう、って思っている状況がみじめ、ああ、いやだみじめな人間になりたくない!って痛烈に思っているんだと発見しました。
これがはっきりみえたとき、あら?お金がなくなりそうだからどうにかしようっていのはみじめなことだろうか?と思ったのです。
商売をしている人なら、借り入れをして毎月返して、今月は売上がいまひとつでこのままでは返せない。だからどうにか算段してかきあつめなければ、というのは非日常ではないと思います。
それってみじめなことでしょうか?
それはただただ、お金がたりないからどうにかしないといけない、という状況なだけで、なんならゲームのクリアすべき課題なだけ。そこにみじめとか立派とかの意味はありません。意味を付けているのは自分です。
なぜお金が足りないから算段する、ということをみじめだと思うのか、その原因はまた深く掘り下げれば出てくるのかもしれません。でもお金の不安に関してはそれがわかっただけで十分。
なんだ、避けようとしていたみじめさを感じる理由なんかないじゃないか。
そう、勝手に経済状況に対してわたしたちは意味づけをしてしまい、その意味付けに基づいて感情が揺らされているのです。
ここで魔法が解けました。
お金の不安は私にとってはみじめさとセット。みじめさは私にとって大きな影響力のある感情。だからみじめさをめぐって、めちゃくちゃ自我の活動が盛んになるのです。
わたしの自我が用意した人生ゲームは、おみじめさという感情を鍵に構築されているのでしょう。
でもみじめとお金の状況はまったくつながっていないものだとわかりました。なにもみじめなことではなかった。むしろ、それをこの生涯でなんどもやり、何度も生き抜いて生きて、なんて自分えらかったんだ!
ま、これがわかったからって口座の残高が急に増えるわけではありません。
でも、不安はずいぶん軽くなりました。
不安を感じる状況になったら、それを解消する手段を考えそれを行動に映せばいいのです。誰かに借りるのか、アルバイトするのか、何かを売るのか、どれも別にみじめなことではありません。ただの算段。
こんな風に私たちは何かの状況に対し、勝手に意味付けをし、その意味付けに対して感情を揺らして不安などのネガティブな感情をもつのです。
たとえば結婚していないとか、専業主婦で仕事をしていないとか、離婚歴があるとか、家が小さいとかふるいとか、車が高級車じゃないとか、外見がいいとか悪いとか。どれもそれに意味付けをしていない人から見たらどうでもいいこと。でも意味付けをしている人には深刻な問題や悩みになり、感情の嵐を呼びます。お金もこうしたものと同じ。
どんな意味付けをしているのか。それがわかると不安のからくりが見えます。
さて、あなたはお金の不安をなぜ味わいたいと思っているのでしょう?
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