過去と世界がひっくり返った父の言葉

生きづらさの原因が父親じゃなく母親だったのかも、という記事を書いたあとで、びっくりすることがあった。

父親との関係はその子の社会との関係、母親との関係はその子の人間関係の元になる、と言われたりする。

ざっくりな説明だけれど、父に愛されていないと感じながら育つと、社会に認められないというセルフイメージにつながりやすく、母に愛されていないと感じながら育つと、人に愛されていないというセルフイメージにつながる。

私自身は父に愛されていない、少なくとも兄弟のようには愛されていない、と思ってずっと生きていたので、自分の社会的価値を認められない大人になった。自分の社会的価値が認められない人がどうなるかというと、愛される人になるために、必死で社会的価値のある人間になろうとする。

本来の自分とは違う「デキる」人になるべく、生きるためのほとんどのエネルギーを使うため、本当の自分の望みや気持ちが置き去りになる。

できないことはもちろん、できていることすら認めることができず、天井なしの100点を追い求めて、達成できない自分を責め続ける。なにをやってもうまくいかない、思い通りにならない自分と感じる。

私はそういう過去を歩んだ人間だったし、世界は私の存在価値を認めない場所だった。

ところが。

母が私に課してきた身代わりで成功するという役割にくわえ、わかってくれていなかったのは父ではなく母だったという事実が明確になったおかげで、父は私を責めていなかった、という方向に矢印が変わった。

愛してくれていなかったわけではなく、私が望むような形で愛を示してくれなかっただけ。私が父の期待にそえなかったわけでも、足りなかったわけでもなかった。父が出したものを私が愛だと理解できていなかった。

しかも、父=強敵の図は、母と父の関係で生まれたもので、それを私は母の側から見ていたからそう見えていただけ。父の側から見たら、相手のためにやりつくしてまだそれに不服を言われる、という連続への怒りだったのかもしれない。

これは全部、私の勝手な読み解きで、実際ふたりがどうだったのかはわからない。でも実際はあまり関係なく、わたしにとってどう見えているのかだけがわたしの人生には重要なので、そこはいい。

こんな構図が母に電話口で怒鳴りつけたあと見え、その翌々朝、父から電話があった。母が私の様子から心配して父に言ったのだろう。

「だいじょうぶか」と言われた。

「ごめん、もっとがんばるからだいじょうぶ」と答えたら

「もともとお前のためなのだから、別に(がんばらなくて)いいよ」

この言葉に私の世界がひっくり返った。

あなたが望むから頑張ってきたんですよ、でもそれは幻想だったんですか?

父に愛されなかった過去と私の社会的価値が認められない世界、が消えてしまった。

一応言っておくと、どっかーんと変わったわけでも、ぱっかーんと開いた感覚でもない。何年か前だったらそうなっていたかもしれない。でも、薄皮をはがすように少しずつ少しずつ本質の自分に向かって掘り進んだあげくなので、その薄い一枚がひとつはがれたぐらいの感覚だ。

でもその一枚を境に、前と後ろではまったく違う景色になる。劇的な変化の衝撃は意外にも静かに訪れるものなんだな。


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