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生きづらいのは父親との関係の影響と思っていたけれど実は母親の影響が大きかったらしい

母親とのかみ合わない会話で、ひたすらに父親だけのせいにしていた私の生きづらさは、実は母親が多いに関係していたんだなと気づいた。

母は男尊女卑で強権的な家長として君臨する父の機嫌をそこねないようずっと夫婦生活をしてきた人。父を怒らせないことが家族のため、とたぶん心臓に書いてあったんじゃないかと思うほど。

そう見えていたんだ。子どもの私には。けれど、母は人の孤独や悲しみに鈍感だということが、心や人間関係を学び、自分を肯定するようになって見えるようになった。

自分の価値基準での常識的な正しさ、社会的優秀さの枠で人を図る。がんばれば、そして優秀であれば、その枠にはまって成功していけると信じているふしがある。

本人は実家が戦災でやけるなど苦労はしているが、本質は箱入り娘で世間知らず。高校まで学業もスポーツも優秀だった自分の価値観が誰より正しいと思っている。ちゃんとしていなくては。腐っても鯛だから。

その価値観では、バツイチで、勤めることをせず、収入の安定しない自営業で、しかもオンラインだのコーチだの、彼女にとっては宇宙語のようなことを仕事にしている私は、どうしちゃったのか、早くまっとうに戻ってもらわなくては、という心配の元だ。

英語コーチの受講生のことを「お弟子さん」と呼ぶ。自分の実家が道場だったのでそういう感覚なんだろうか。

こちらから電話をするときは、自分のマインドを整えてからできるので、価値観の決めつけや、自分の身体の調子の悪さ、私への心配をえんえんと話されても感情を揺らさないで聞いていられる。

でも予期せずむこうからかかってきてそれをやられると、こちらに余裕がないときはキツイ。犠牲感がどんどんわいてくる。だから、心配してくる言葉への返事もまともにすると怒りやそっけなさが出て文句を言われるし、自分のマインドにも影響するので、絞り出される言葉は「はあ」だけになる。

そのギリギリの「はあ」に対し、「はあって、あなた、のんきね、他人事みたいに」と来て私の中でぶちっと何かが切れた。

「のんきなわけないでしょ、ギリギリなんだよ!」とどなって電話を切った。

のんき、と言われたことに、決めつけられたことに、こんなに平穏に会話を終わらそうと、母をできるかぎり満足させようと自分をコントロールしたあげく、その努力の結果を「のんき」ととり、そののんきさを責めようとする気配に我慢の限界が来たのだ。

こういうところが母にはある。人が母を喜ばせるために、母が自分では手配できないことを他の家族に交渉したり予定を調整したりして、やっと整えた場で、神経すり減らしてこぎつけたそのお膳立てした人のほんのちょっとした態度に対し、「冷たい」だの「気が利かない」だのと言ってしまう。

そしてそれに対し、ギリギリだった言われた人はコントロールが崩壊して爆発する。そして「なんでそんな風におこるの?そういうところお父さんそっくり」と追い打ちをかける。

母には、なぜ相手が急に怒り出したのかが分からない。自分がパンパンに膨らんだ風船に針を刺したことに。もともとパンパンにさせたのも自分のためという相手のやさしさなのに。

父が怒りっぽいから母はかわいそう。そうみえていた夫婦や家族の景色が、これは母の鈍感さが多いに原因となっていたのではないかと今は思う。

父もむやみに怒っていたのではなく、けっこうぎりぎりまで我慢しての爆発だったのかもしれない。父に愛されていないから父は自分に不機嫌だったと思っていたけれど、父の愛と不機嫌は案外関係なかったのだろう。

最近の父のぽんこつな私への対応はむしろ温かく、こんなダメな私は見捨てられる、叱られる、というのは思い込みだったのかもしれないと過去が書き変わりつつある。

一方で、気持ちをわかってもらえない、わかろうともしてもらえない、という痛み、優しい心配りが踏みにじられるけれどそれは自分のせいだ、という考えは、母との関係から生まれたんだと今は思う。

頭の中で相手の考えや気持ちをめまぐるしく察知し分析し、自分のとるべき正解をつねに考えて、しかもその結果を責められるという私と、裏の気持ちというものがまったく読めず、自分こそ正しい、という信念とプライドに支えられて生き抜いてきた母とでは、たぶん子育てという点では相性が悪かったんだと思う。

仲の悪い親子ではなかったけれど、実家をとてつもなく窮屈な場所だった。

以前、母に感情をぶつけたときは後味が悪かった。申し訳なかったり、かわいそうだったり。でも今回はなんだか平気。すっきりしている。

あなたがはったレッテルは違っていますよ、私はいつもギリギリだったんですよ、ということを、ずっと言いたかったんだろう。

やっと、母の呪縛から抜けつつあるのかもしれない。自分の価値を自分で決め、自分の喜びを知ってそれをちゃんと尊重する。そのうえで人との関係性を築く。そういうことができるようになったので、爆発したことをちゃんと自分を尊重できた証拠だととらえている。



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