見出し画像

チームの運営。利全と利個が喧嘩しないために

組織スイッチと個人スイッチ。この2つの切り替えが曖昧だと、組織のことを個人目線で考えてしまう。あるいは個人のことを組織目線で考えてしまう。

山羊座だからか、組織スイッチはわりとくっきりと存在している。組織の視点で考える時なのか、個人の目線で考える時なのか、切り替えが冷徹なほどできる方だと自分では思う。

フラットな組織はワンマン社長経営的に運営すると上手くいかない。トップは利己ではなく利全を意識しつつ、メンバー個々の感情や思考、人格をとらえ、個の満足感が全の利に活きるようにする必要がある。

でもこの感覚を全体の中の運営チーム内で共有することすら簡単ではない。

組織のとあるポストの人事について話し合っていた時に、ある候補を推す人たちのことばに個人的な情のようなものを感じた。

組織の人事に個人的な情を入れるべきではない、と個人的に考えているわけではない。その組織がそういうものを入れつつ運んでいくものならそれでいいと思う。ただ、新しいメンバーが組織を離れてしまう懸念と合わせて人事を考えていたので、そうした情は情の対象になりにくい新しいメンバーが疎外感をなんとなく感じ、懸念の現実化を早めるのではないかと思った。

わたしもその組織では新しいメンバーなので、組織への幻滅みたいなものをそうした小さなことから感じそうだなと思ったので、その情が理由の人事だとしたら問題があるのではないかと話した。

結局、その候補の推薦は情よりももっと明確な実績や人柄への信頼が大きなベースとなっているという説明があった。そして私の、情が決定に影響を与えたのではという発言は、過剰反応ではないかと言われた。

そうなんだろうか、と自分を振り返り。

やっぱりそれは違うと思った。わたしは組織の方針やあり方がそれを重視するのであれば、情が入るなら入るでいいと思っている。ただ今回のこの組織の性質として、課題に対して公平でない情が入っている解決策は、組織全体にいずれさとられ、不公平だと感じた人は離れていく、と考えて指摘したにすぎないから。

でも、人事を話し合ったチームの中で私の発言のようなものを、個人的視点だと感じる人もいる。それはまた、スイッチの切り替わり度合いによって違う。わたしはむしろ、情が入っていると感じた時に、個人的な感情を揺らしていなかったという人間味のなさに申し訳ないぐらいだった。

個人の視点にたっているときは、徹底的に個に寄り添い組織に反発することもするから、そっちの人間だと認識されているのかもしれないけれど、スイッチがどっちに入っているかで真逆になるのだ。

全体を考えるところに、利己的情を原動力にする人が多いと、たぶんその組織はたちゆかなくなる。

とはいえ、その組織を運営する人たちも個であり、その人にはその組織のために力を尽くす個人的な理由もある。特定の人だけが犠牲になるのはいただけない。

けっきょく全と個、両方のバランスをそれぞれが意識し理解し、お互いの違いも受容しあうしかない。そしてなにより、課題や目的を共有していることが必須。バランスがとれているメンバーのチームなら、意見がわれたときも、目的に立ち戻ることで、最善策を出していけると思う。

個人的な情でないがしろにされたとか、傷つけられたとか、そういうノイズで自分のことも全体のこともかき回すことがなく。

こういう視点が理解できない、不得意な人は組織の運営チームに入るのは向いていない。アーティスト的に個の力をぐんぐん発揮し、そのことで組織のパワーや個性になっていけばいいと思う。

利全思考ができるタイプと、個の存在力の強い人、お互いの違いを認識し、相手の存在があるから自分は助かっていることを感謝しあう。

これができたらチームとしては最高だなと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?