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AIは文章の価値を変える

以前、とあるビジネスコンサルが「お客様の感想のことばは直さずそのまま使うほうがいい」と言っていた。

お客様の感想は、ときにてにをはがおかしかったり、文章がおかしかったりすることがあるのだけれど、それを直さないでそのまま使いなさい、ということ。

なぜなら、その方がリアルな感想であることが伝わるから。

なるほどと思った。リアルな感想の方が読む人の共感を呼ぶ。また、書いた言葉ひとつひとつ、一文字一文字にその人のエネルギーが乗っているけれど、直してしまうとそれが削られてしまう。

文章を書くことをAIに任せられる場面が増えてきた。

AIに書かせれば、誤字や文法の間違いや、文章の不整合なんかなく、読みやすい文章を書いてくれる。

単なる情報伝達のための文章ならAIに書いてもらって、その分のエネルギーや時間は感情やエネルギーの伝達、つまり表現活動に使えばいいと個人的には思う。

でも、共感を巻き起こしたい文章に完璧さは必ずしも必要ではなくて。むしろちょっとした言い間違いとか誤字とかある方がその人らしかったり、感情のアップダウンが伝わったりする。読み飛ばせない気持ちにさせる何かがあるというか。。。

まあ、そのうち、自分がしそうな誤字脱字とか間違いを適度に含んだ文を書いてといえばAIが書いてくれるようにすらなるのかもしれない。

それでも。

言葉にのったエネルギーを人間はキャッチできると思いたい。

『アミ小さな宇宙人』という本の中に、人の愛のエネルギーレベルを数字で測れる装置のことが書いてあった。あんなふうに計ったら、同じ文章でもAIが書いたものと人が一文字ずつ生み出したものではエネルギーレベルで測定値が違うんじゃないか。

AI作品だとしても、プロンプトに思いを込めることができるという人もいるだろう。

実際、思う通りの作品を作り出すプロンプトにたどり着くのは、筆でキャンバスに一筆かくよりも難しかったりする。

筆と、筆で書かれた文字や絵のエネルギーを比べようがないように、いつかAIが筆と同じぐらいに人間が使いこなせるようになったら、その作品はAIを使わずに書いたものと同じエネルギーになるのかもしれない。

でも、できないことをまかせてインスタントにできあがったものと、一文字一文字にダイレクトに思いをいれた文とでは、今のところはエネルギーレベルは違うんじゃないか。

まあ、測りようがないのであくまで推測なんだけれど。

なにが言いたいかというと、AIで簡単に文章が書けるようになるまでは、間違いのない文章をかけることに意味や価値があった。でもその価値はおそらく逆転して、むしろ間違いや言い回しがおかしいところといったゆらぎのある文の方が、存在価値が高くなるかもしれない。

ものの価値なんて、ほんと永遠不滅じゃない。

あ、ちなみに私はnoteの文章を書くときは、一文字一文字自分で打ってますよ!





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