意見は人の数だけ違うから肯定されてもされなくてもその価値とは関係ないのです
今、英語とマネー感覚を遊びながら身につけるゲーム大会を企画しています。その企画を一緒に開催していくれる人を探していて、昨日ある人に何げなく話したら、それ、めちゃくちゃ面白そう、やりましょう!とすぐに決まりました。
でもその企画、じつは別の人にも話したことがあって。
その人は私のことをよく知っている人で、私のキャラ的に英語とお金の学び二つ並んじゃうと、すごく高度なことをしてそうで参加する気持ちに対するハードルが高くなっちゃう可能性があるかもね、とアドバイスをくれました。
これがとてもなるほど~という意見で。
その企画にNGとかじゃなく、ハードルの低い印象を与える別のものを入れてワンクッション挟むといいかもねという意見でした。
たしかにね。どんなワンクッション挟もうかな~と思っていったんそのゲームのアイデアは私の中で保留になっていての昨日でした。
この時の会話と昨日の会話を並べて、思ったのです。
すべてのことに対し、人の受け取り方はその人の数だけあるんだなって。
だから、自分が描いたアイデアに対しても、聞いた人の数だけ違う意見が集まるんです。
つい、私たちは最初に聞いた人の意見が肯定的でないと自信を一気に失って、それをボツにしてしまいがち。
でも、そこで次の人に話を聞いたら「めっちゃいいじゃん!」て言われるかもしれないのです。
それはあえて難点を指摘してくれた人がネガティブなエネルギーだったとかではないのです。
ものごとの見方って360度あるわけで、どの角度からそれを眺めるかは、その人の経験、知識、状態や、もっというと私自身のその時のエネルギーの状態も影響する。
また、わたしが今回組むべき相手と出会うために、アドバイスを聞いておくことが必要だったのかもしれない。
昨日、その企画を話した時は、ほんとうに思いつきで軽い気持ちでこんなのがあるんだけど、、、と勝手に口から出ちゃったぐらいなことだったのです。
でも話してみたらその企画が、昨日話した相手と進めている計画においては、ぴったりのツールだったのです。
だから、アイデアを誰かにはじめて話したときにGoと言われなくても、それは一つの角度からの意見でしかないから、なかったことにする必要はないのです。
ただじゃあ人の意見も聞かない方がいいのかっていうと、それもケースバイケースというか、この人の意見聞いてみたいなと直感が言うなら聞けばいいのです。
聞いておいてよかったと思える情報や意見をもらえたり、その人は直接かかわらなくても別の人を繋いでもらえるかもしれない。
アドバイスが肯定的か否定的下で、そのアイデアを合格か不合格の判定をしなくていい。最初の一人が否定的でも後の99人は肯定的かもしれないし。
否定的な意見を聞いておけたおかげで、自分では思いもつかなかった準備をできるかもしれない。
やっぱり自分の直感が一番便りになるってことです。そして、意見のひとつひとつは自分への判定とは一切関係ないってこと。
自己評価に結び付けず、軽い状態でいれば、ベストな場所やタイミングでアイデアが生きる時が来る。
そのアイデアが生きるものであればそのタイミングは苦し、流れるものであるなら流れる。そこに自分の価値はなにも関係ないのです。
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