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「ひとり時間」の幸せと感謝

仕事も学校関連もようやく通常に戻って、家族が出かけたあと自分が出勤するまでの「ひとり時間」も戻ってきました。いやー、これを待ち望んでおりました。「ひとり時間」はもはや私にとっては欠かせないもので、毎日この時間を死守するために一日のスケジュールを組んでいると言っても過言ではないくらい。

子どもと生活をしていると、容赦なく私の時間は奪われていきます。子どものように手がかかるパートナーと暮らしている人も、同じかもしれません。もし自分が、子どものために、パートナーのために動き回ることに幸せや生きがいを感じ、そこに自分の存在意義を見出して、日々充実感を感じられる世話好きな人間だったら、こんなに「ひとり時間」を確保しようと躍起になることはなかったと思います。が、私はそういうタイプではなかった、ということに子どもを持ってから気がつきました。我が家の場合、夫は極めて独立した人間で、自分のことは120%自分でやる人(つまり自分のことだけでなく、家族のことも積極的にやる!)なので、夫に手がかかるという感覚は私にはありません。ということで私が夫のために自分の時間を犠牲にすることも、ほとんどありません。あってもそれは家族として協力できる範疇に小さく小さくとどまっています。ありがたや!

けれど子どもたちはまだまだそういうわけにはいきません。基本的に自分でできることは自分でやってもらいますが、まだまだ大人の助けが必要なことも多く。けれどそこは責めるべきポイントではないですし、私とて家族のために動くことが嫌いだとか、腹立たしいだとか、そういう気持ちでいるわけではないので、必要とされればもちろんお手伝いします、よろこんで。

ただね、何事もバランスが大事で。私はやっぱり、パートナーでも母でもない、私個人の「部分」を持っていたい。その「部分」があるから、家族とのかかわりを楽しめたり、大事に思えたりするという気がするのです。だから意識的に「ひとり時間」を確保していきたいのです。

「ひとりの時間」が大事、という話をすると「家族に対して冷たい」とか「さびしくないの?」と言われることもありますが、私にはそれがイマイチ理解しづらい。自分を充実させることと、家族に対する愛情は同じ土俵で語ることではないし、「ひとりでいる=さびしい」というもの私の中ではまったくの別物。精神的にも孤独だったらさびしいかもしれないけれど。

深堀しすぎるとドツボにハマっていきそうなので、今日のところはこの辺でやめておくけれど、とにかく私にとって「ひとりの時間」はかけがえのないものなので、この「ひとりの時間」にじっくり読書をしたり、考えをまとめたり、充実感を覚えられるように勉強に充てたりしたいと思うのです。

で、日常生活が戻るとその時間も戻ってきて、ものすごくありがたいし、ものすごく幸せ。というお話。あたりまえの日々を送れることは本当にありがたい。朝から感謝でいっぱいのスタートです。


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