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宇宙が書いてくれた完璧なシナリオ

ママが入院した。これ以上ない、完璧なシナリオだった。

今回入院する前までの数日間、実家に帰っていた。ママの状態が悪化したからだ。ママを目の前に、こんなに具合が悪かったとは想像していなかった。パパが今まで看病してくれていた。自分を責めた。でも責めていても何も始まらない。

まだ原因はわからない。

でも、インターネットでママの症状を調べた結果、膠原病の中の全身性の炎症疾患である「成人スティル病:Adult Onset Still's Disease/Adult Still's Disease」という病気の症状と、とても似ていることに気づいていた。10万人に2人ほどしかいないという、そんな病気に当たってしまったのだろうか。

いつものかかりつけのお医者さんでも原因が何だかわからず、某大学病院の膠原病科の担当医師を紹介してもらうが、ママの採血・採尿結果を見て、2回とも診察中に「うーん、わからない」と頭を抱え、黙ってしまう。わからないなら、わからないなりに、何か対処法を考えてほしいものだ。ママもわたしもとても不安になる。これについては、後でもっと詳しく話そう。

ママの症状をまとめると、

- 不明熱 (原因不明の38.3度以上の発熱が少なくとも3週間続く状態)が、ママの場合は、3週間以上の間、続いている。それも、夜に高熱が出て、昼は下がっている。39度は茶飯事、40度が出たことも2回もある。

- あまり痒くない皮疹が、太ももから始まり、顔以外の体全体あちこちに出てくる。 熱があるときに出やすい。

- 特に手首に関節痛がある。その他、肘や肩、膝や股関節にも痛みがある。小さい関節よりも大きい関節に痛みがある。同時に関節が炎症を起こしているため、熱を持っていて、とても熱い。

- 喉も少し痛い。

今年2月には、体全体に皮疹が出たが、かかりつけのお医者さんではわからず、その後、某大学病院の皮膚科を紹介してもらった。担当医師I先生の初診で、「薬疹」と呼ばれる、お薬によるアレルギー反応ではないか、との診断が出た。即日入院となる。ただ、原因と思われるお薬を飲む前から、皮疹や弛張熱(しちょうねつ:1日の体温変動の差が1度以上で、最低体温が37度以上)が出ていたため、I先生に「膠原病の可能性もありますか?」と伺うと、「そういう可能性も否定はできませんね。」とおっしゃった。でも、「まずはこの薬疹を治して、それが完治した後、どういう症状が出るかを診ましょう」ということになった。

ピンクの梅の花

入院2週間は必要かと思われたところ、ママは8日間で退院できた。毎日、フルーツや洗濯物を持って、パパと病院へ通った。ママが日に日に元気になってゆくのを見るのが、とてもうれしかった。主にステロイド治療で、熱も皮疹も収まり、とても調子が良くなった。ただ、調べてみると、どうやら「成人スティル病」だと、薬物アレルギーが出やすいらしいとあるから、気になっていた。

退院の日、 ピンクの梅の花の甘くとてもいい香りがした。お日さまに染まって、さらに桃色が増して、とても綺麗だったのを覚えている。

1週間が経った。ママが大好きな鰻をいっぱい入れたちらし寿司を作り、ママの誕生日 2月25日と、おめでたい退院を、みんなでお祝いした。

うなぎちらし

けれども、お祝い気分は続かず、次の日から、頭皮の赤み、かゆみが出てきていた。

3月中旬になり、また熱が出始め、手首と手のひらも痛み、指の関節も炎症し始めた。ドアノブなど、簡単な日常動作がしにくくなっている。お手洗いのドアなど、家の中のドアは開けておくようにした。炎症の進行が早い気がして、だんだん怖くなってきた。症状から判断しても、膠原病系ではないかと考え、かかりつけ医に、某大学病院の膠原病科を紹介していただいた。でも、初めに書いたように4月6日の膠原病科M先生の初診では、「そういうよくわからない場合に、膠原病科に来てもらっても困るんですよ。」と患者を跳ね返すような発言をママは受ける。湿布薬のみ。そして、4月13日の2回目の診断では、採血・採尿の結果を見ても、また「わからないなぁ・・・」と長い間下を向いているような状態。そんなM先生に「成人スティル病の可能性はないでしょうか?」と聞くと、「うーん、そういう可能性もあるけど・・・。スティル病だとステロイドを大量に使うし・・・。」と、またどもってしまう。

結局、ママは彼に2度の診察を受けたけれど、先生がくださった案としては、ママが10年くらい飲んでいる甲状腺の薬、今は週一しか飲んでいない薬を、数週間やめてみる、甲状腺の薬の影響でなければ、偽通風やリウマチ性多発筋症かもしれない、でもわからない・・・。これでは、いくら話していてもキリがないように感じた。

いつも歩くときは、ニューヨーカーよりも速足でスタスタ歩き、なんでもちゃっちゃと出来ていたママなのに、日常の動作がどんどん難しくなってきている。このまま病気が進行したら、ママの命が危ないかもしれない。そう思うと、こんな先生には頼めない、と気ばかりが焦り始めた。

「わからない」という不安を少しでも解消するために、ママの症状をGoogleる毎日が続いた。Googleのすごいところは、リサーチすれば、いろんなお医者さんたちが書いたレポートまでも読めてしまうところだ。素人ではあるが、大意はわかる。学びが絶えない。ママは、甲状腺機能亢進症でお薬を1週間に1回飲んでいる。さらにリサーチを続けると、どうやら自己免疫疾患は併発することもあるらしい。1回目、2回目の採血や採尿の結果を見ながら、Google結果を比べていると、やっぱり「成人スティル病」と思えてならない。

特徴的なのは、

- リウマチ因子、抗核抗体などの自己抗体は、陽性になりそうなのに陰性
- 炎症を示しているCRP (C反応性蛋白: C-reactive protein) の上昇
- 組織に炎症や破壊を示す、赤血球の沈む速度: 赤沈/血沈/ESRの亢進(速くなっている)
- 関節破壊進行を示すMMP-3 (Matrix Metalloproteinase-3) の上昇
- 肝臓が悪くなっていることを示すLDH(乳酸脱水素酵素:Lactate Dehydrogenase)の上昇

などだ。素人でもこれだけ調べられるこの時代に感謝。

ママはすごい。

ある日、電話が来て、「お願いがあるんだけど、」と言う。パパママのためなら、なんでも飛んでゆくわたしなので、すぐ実家へ帰った。今回は、Excelで棒グラフを作成してほしいとのこと。1月から4月までの発熱の状況や、症状などを1つにまとめた方が、ただ話を聞くよりも、お医者さんにわかりやすい、と思う、と言う。すごい。おっしゃる通り。具合がよくないにも関わらず、頭が冴えている。

久しぶりにExcelでグラフを作る。どんな仕事もやっておくと、どこかで役に立つ。今までの発熱や症状の記録、診察の結果や服用した薬など、すべてを入力してゆく。それらを毎日記録していたママにも感動だ。高解像度の皮疹の写真に、日付も入力して印刷しておく。

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準備万端だ。ママの言う通り。とってもわかりやすい。これならどんな医師でもすぐに診断できるはずだ。「ママ体調早く良くなる!」というフォルダーを作り、写真とエクセルファイルを入れる。パパはこの資料ができただけで、ママの病状が良くなった気がする!と言っていた。パパの気持ち、すっごくわかる。ほんとに。まとめただけで、ママの体調は変わっていないのに、これでやっと理解してもらえるのではないか、病気がわかるのではないか、と希望が湧いて、気持ちがすっと軽くなった気がした。

最近、どこの病院でも、患者の話を半分くらいしか聞かずに、ずっとコンピュータ画面に向かってカチカチとタイプしている先生が、残念ながら増えて来ている。心がここにあらずという感じだ。昔は、舌や喉をチェックしたり、心臓の音を聞いたり、もっと目を見て、患者の症状を真剣に聴き、本物のコミュニケーションを取りながら、診察してくれたものだった。

ここからがどの出演者も外せない、宇宙が書いてくれた最高のシナリオを見せてくれた。Thank YOU, Universe.

耀くサクラ


パパはすごい。

4月23日、パパがママのために、近所の整形外科で予約を入れておいてくれた。ママの関節痛を心配したからだ。このタイミングでパパが予約を入れてくれたことが、ほんとうに幸いだった。この整形外科のA先生には、パパが長年お世話になっている。ママの膝の後ろに水が溜まったため、1度抜いてもらったことがある。今日は2回目の診察。わたしは初めてお目にかかり感動。なぜなら、先ほど書いた最近の医師のタイプとはまったくほど遠い、「医師の中の医師!」とも言える素晴らしい先生だからだ。A先生は、真摯に話を聞いてくださり、しっかり目を見て話してくださる。頼り甲斐のあるA先生は、お医者さんの理想!

ママが診察を受けた大学病院のM先生の診断があまり芳しくなく、なかなか原因がわからず困っている話をA先生に話すと、「その大学病院なら、わたしが懇意にしているK先生という先生がいますよ。」とおっしゃる。そのK先生の名前を聞いて、宇宙に感謝した! なぜなら、Googleで「膠原病の名医」を検索した際に、名前が載っていた医師なのだ。なんて素晴らしいこと!What a miracle!

A先生は、「連絡してみますよ。ちょっと待っててくださいね。」とご自身の携帯電話を取り出し、カーテンの向こうへ行き、名医であるK先生に直接電話をしてくれた!なんという奇跡!M先生が何もしてくれないので、このK先生のところでママを診てもらえないか、と考えていたわたしだったから、夢のようだった。ママと診察室で待ちながら、大粒の涙がこぼれ落ちて止まらない。He is so amazing… ママは昔から、わたしの泣き顔を「歌舞伎フェイス」と言ってからかう。大泣き手前の、への字ぐち。誰にも見せたくないすごい顔になっていたはずだ。このときほど、顔の80%が覆われるコロナ予防のマスクに感謝したことはない。こらえていた涙がこぼれ出す。看護婦さんと目が合う。わたしの泣き顔を心配そうに見ている。A先生が膠原病名医のK先生を紹介してくれるという、この奇跡に感動・感謝していることを、泣きながら彼女に告げる。今までの不安だった気持ちと安堵感があふれ出して止まらない。

A先生がK先生とお話をして、来週の4月30日、木曜日に診察を受けられることになった。パパがこのタイミングで予約を入れてくれたことが、ママを救った。ただ、K先生は特別外来なので、M先生とまた違うルートになるらしい。M先生にはK先生の診察の予約が取れている旨、伝えれば大丈夫、とA先生がアドバイスをくださった。I really can’t thank him enough…ほんとうにありがたいこと…。

某大学病院膠原病科での3回目の診察は、ママが甲状腺の薬をやめて様子をみてからということで、3週間後に予定していたが、ママの具合が悪化しているため、早めて4月25日の土曜日にしてもらっていた。3度目のM先生の診察。前回、前々回と変わらず、曖昧だ。M先生にK先生の話を伝える。診察の後、廊下の椅子で待っていると、看護師Hさんがママに話しかけてくれる。隣に座り、M先生のフォローをしながら、じっと目を見て丁寧に説明してくれた。She is so good…彼女のほうがずっとわかりやすく、お医者さんのように信頼できる。

ママもわたしも5日後の木曜日まで頑張って、ぜひK先生に診てもらいたい、という気持ちだった。もし、今Give Upして入院してしまったら、M先生に診てもらうことになってしまう。ママは、それは嫌だと言っている。

その気持ちを汲み取ってくれた看護師Hさんは、ママの採血の結果を見ながら、「大分、炎症が進んでいるから、もし耐えられなくなったら、月曜日の朝、電話してね。」と言った。そしてコロナの時期で、熱があると救急車はなかなか乗せてもらえず、乗せてもらえても、空きのある他の病院へ回されてしまうことも教えてくれた。この週末が勝負だ。緊張感が余計に高まる。
それにわたしがコロナにかかって、パパやママに移したら大変。パパも自分がママに移したらもう終わりだ、と思っていたと言うから、ママの病気とコロナで一層気が引き締まる思いだった。

看護師Hさんが親身になって話してくれる様子に、ママもわたしも感激して目頭が熱くなる。M先生の頼りなさは忘れ、H看護師の素晴らしさ、頼もしさに、しあわせな気持ちになりながら、病院を出た。

日中に、ママの調子が良かった日も今までにはあったが、日中でも熱が下がらずカウチで横になっている日が続いた。

頑張り屋のママは、木曜日まで我慢する!と言って聞かない。頑固だから、なかなか曲げない。ママの気持ちも痛いほどわかる。名医であるK先生の診断を待って、その診断の元、しっかり正しく治療したい気持ち、もちろん、わたしがママでも同じように感じるはず。

この土曜日に整形外科A先生から自宅に電話がくる。なんと、K先生とお話をして、木曜日の3:30で予約がとれましたから、とおっしゃる。わざわざ時間を割いて、そこまでやってくださるA先生には感謝のしようがないほど、感謝の気持ちでいっぱいだ。ダライ・ラマのよう。


毎日、夜になるのが怖かった。ママの体調は夜になると急に悪くなるからだ。ママの関節は腫れて炎症を起こし痛みがあり、熱もなかなか下がらない。愛するママが苦しがっているのを見るのは、とてもつらい。痛々しい。わたしが変われたらいいのに 。

ママが、パパのことを「神さま仏さまのようだ」と言う。なぜなら、今まで毎晩、パパは自分の手を保冷剤で冷やし、ママの熱い手や足を優しく包み、冷やしてあげていたからだ。ほんとうにパパのような優しいひとは、なかなかいない。ママはパパと結婚してほんとによかった、しあわせだと言う。
わたしが実家に来てから、パパと一緒にママの熱を冷ます夜が続いた。ママの額と手と足がすごく熱い。額の冷たいはずのタオルは、すぐに熱を持つ。すごい変化がママの体の中で起こっている。

パパと変わり、わたしが実家にいる間はママと同じ部屋で寝ていた。今までパパは看病で眠れない夜が続いていたのだろうと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。もちろん、わたしもママの様子が気になり、眠れない。

4月27日の月曜日も、ベッドに横たわっても、眠る気にはならなかった。ママの早く病気がわかれば、治療を始められるのに。目の前で、高熱と関節痛、だるさや悪寒で苦しんでいる大事なママ…可愛そうで、なんでもしてあげたいのに… タオルを変えたり、ひっくり返したり、手足を冷やしたり… できることは限られている。自分が変わってあげたい。自分が苦しいのは耐えられるけれど、大切なひとが苦しんでる様子を見るのは、耐えられない。つらすぎる。少しでもママが動いた音がしたり、寝息が荒かったりすると、心配で、心臓が痛くなった。

外が明るくなってきた。

「Hさんに電話してくれる?」

ママがポツリと言った。聞き逃さないように、もう一度しっかり聞いてみた。あの看護師のHさんに電話したいと言っている!朝の6時だった。うれしくて、うれしくて、すっと目が覚めた。我慢強いママも、もう限界なのだ。かわいそうに・・・。こんなにぐったりとしたママを今まで見たことがない。

ママもわたしも心配していたのは、入院したとしても、あのM先生ではなく、K先生に診察してもらえないのだろうかということ。30日の木曜日に診察が決まっていたわけだから、そのままそれはキープできないのだろうか。看護師のHさんに可能かどうか聞いてほしい、とママは言った。

もうママは限界なのか、黙って入院の準備も始めた。ママは入院は6回目だから、何を持ってゆけば良いかよくわかっている入院のベテランだ。少し荷物をまとめて気持ちが落ち着いたのか、ママはまた眠り始めた。

ひとつ気がかりなのは、K先生は特別外来で、入院患者は診れないのかもしれないということだった。K先生に直接お願いできないだろうか。とにかくあのM先生にはママを任せられない。どうにかK先生に連絡することはできないだろうか。インターネットで検索してみる。あった!K先生のInstagramとTwitterアカウントを見つけた。K先生の笑顔はとても明るく、優しく見える。

K先生へのお手紙を書く。病院に電話ができるのは、8:30から。それまで時間がある。藁にもすがる思いで、ママの症状と現状をわかりやすくまとめようと、下書きを何度も書き直す。やっと書き上げた長いメッセージと、マスターピースであるママの症状をまとめた資料を添付し、念のため、InstagramとTwitterの両方に送る。Twitterの方が更新しているから、すぐに見てもらえるだろうか。
突然のメッセージを、大変、大変、無礼に感じたが、大事なママが生死をさまよいそうなこの重大なときに、そんなことを言っている時間はない。残す手段はこれしかない、そう思った。

K先生にメッセージを送って、少しほっとしたのか、うとっとした。15分くらいだっただろうか。8:30になった。

病院に電話をする。膠原病科看護師 Hさんを呼んでもらう。Hさんが出た。「大丈夫?」こちらの名前を聞いてすぐわかったのか。その優しい声かけに、涙があふれて出た。ママの現状を伝える。そして、HさんにK先生のことを聞いてみる。やはりK先生は特別外来なので、ママが入院するとなると、ママの診察はできないとのこと。でも、M先生ではない他の先生に、今日診察ができるかどうか確認してくれる、というのだ。

Hさんからの電話を待っている間、某大学病院からわたしの携帯に電話が来た。すぐとる。「少々お待ちください。」と誰かに取り次ぐような言葉。次に男性の声がする。「Kです。」看護師Hさんからの電話かと思ったら、なんとK先生だ!あの夢にまで見た膠原病の名医であるK先生の声だ!

K先生曰く、わたしが送ったメッセージを見てくださったけれど、メッセージを読むだけでは良くわからないし、と電話口で病状を聞いてくださった。最終的に、K先生は、もう引退したようなもので特別外来担当のため、ママが入院すれば診察はできないということ、そしてママの症状を聞いた限りでは、入院してしっかり検査をした方がいい、とアドバイスをくださった。

隣で聞いていたママが、「K先生の診察は受けられないの?」と不安そうに聞いてくる。直接話した方が安心するだろうと、先生と話す?とジェスチャーをすると、うなづいたので、ママに携帯を渡した。

大変お忙しい中、お電話をくださった名医であるK先生、それなのに、わたしに話してくださったような内容をもう一度ママにも話してくださったようだ。ほんとうにありがたいこと。いつかお逢いして、直接お礼を言いたい。

そして電話を切って数分後、看護師Hさんから電話が来る。
「K先生と話して安心した?」
Unbelievable! 彼女は、人の気持ちがよくわかる、なんて素晴らしいひと!
Hさんの思いやりと行動力に感動しながら、パパに伝える。コロナも心配だから、パパにはおうちで待っていてもらい、ママと病院へ向かった。


看護師HさんがアレンジしてくれたW先生の診察を受ける。ママの話をしっかり聞いてくれ、様々な確認をしてくださる。作ったマスターピースの資料をもとに、ママの症状を説明する。確かに膠原病の症状が沢山出ている。炎症が進んでいるので、入院して様々な検査をしてみましょう、ということになった。そして、ママもW先生であれば、信頼できると感じ、入院する決心を固めた。

入院した次の日、ママから電話が来た。
「しんどい・・・。」
それを聞いて、パパもわたしも心配で、心が壊れそうになる。
どうしよう、どうしよう。
コロナで面会禁止のため、不安の気持ちがどんどん募って押し潰されそうになる。

このFEAR、恐れ、不安の気持ちは、そのまま放って置いても、何も始まらない。どうしようもない。ACTION、行動を起こさなければ、何も解決へ向かわない。その気持ちが自分を押してくれた。
K先生へ思い切ってお手紙を書いたのと同じで、Be Bold! 大胆に行動すること!そうだ!

ダメもとで、病院に電話してみよう。誰かにママの今の状態を伝えなければ!代表に電話する。看護師Hさんをお願いする。けれど、状況を伝えると、それなら病棟へつなげますね、と言われる。そして、病棟にいる看護師Nさんにつながった。Nさんはママの担当の看護師さんだ。先ほど入院してから初めての電話があったけれど、とても辛そうで大変心配していることを伝える。彼女は理解した上で、でも検査を終わらせないと治療に入れない、という話もしてくれた。なるべくママがベッドから動かずに検査を受けるよう調整してくれていると言う。彼女がよく状況を把握してくださっていること、ママがどんなにつらいかだけでも伝えられたことで、少し気持ちが落ち着いた。今できることは、やった。そんな気持ちになった。

この宇宙が書いてくれたシナリオ、だれひとりが欠けても、このタイミングで、こんなにスムースに入院することはできなかった。M先生でさえ、なくてはならない存在だったはず。それぞれの登場人物が、それぞれめいいっぱい役割を果たして下さり、ママがここまで辿り着けたんだ。ほんとうに協力してくださったひとりひとりに感謝を言いたい。

シロツメクサとスカイライン

今回、この完璧なシナリオから学んだこと:

Don’t believe everything your doctor says religiously. すべてのお医者さんが絶対ではない。

Trust your intuition. 自分の直感を信じること。

Of course, there’re many wonderfully amazing doctors.もちろん素晴らしいお医者さんたちはいっぱいいる。

But, you have to do your homework to learn about the symptoms and diseases as much as you can. でも、得られる知識は、すべて吸収して準備しておくべき。

Do anything you can for your loved ones. あなたの大事な人のために、できることはすべてやろう。

Don’t leave “Fear” as “Fear”. It should motivate you to do the next “Action”.
恐れや不安な気持ちはそのまま放って置かず、次の行動へのパワーに変えよう。

Be Bold! 大胆になろう!


そして、Do beyond for others.
人のために、自分の可能性を超えて、手を差し伸べよう。


今回、あたたかい手を差し伸べ、自分のお仕事の範囲を超えて、そこまでしなくていいのに、と言うところまで、ママを助けてくださった方々を見て、強く、そう思った。

この文章が、成人スティル病を持つひとや、その家族の方々、または、あなたの人生のどこかで役に立てば、とてもうれしい限りだ。


※ 最終的に、ママは入院し検査の結果、「成人スティル病」と診断された。そして、とても丁寧なW先生の元、ママは回復へ向かっている。2ヶ月の入院かと思われたけれど、もしかしたら早めに退院ができるかもしれないとのこと。ママをここまで元気にしてくれた宇宙と、サポートしてくださったすべての人々に感謝している。

※ 先日、パパと整形外科のA先生へご報告と感謝の気持ちを、お礼のカードと共に伝えた。ほんとうにA先生に出逢えたことを大変幸運に思う。I’m forever grateful.

※ ママが初めてこの文章を読んで、病院からメッセージを送ってくれた。ママが感動してくれ喜んでくれると、とてもうれしい気持ちになる。(みーたんは、小さい頃からのあだ名😋)

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