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自分の中にある”幸せ”をみつめてみる

こないだ働いている会社の社長に「元気そうで安心した。」
と声をかけられました。

社長は、そんなに遠い存在ではなく
一緒に仕事していたりするのですが、その一言がきっかけで
最近の私を少し振り返りをしてみました。
なぜ、racisaにこんなにコミットしているのかも含め
少し書いてみようと思います。

最近考えていること


女性の幸せというルールというか
枠組みというか、こうあるべきだという
よくわからない誰かからの押し付けに疑問を持ち始めた。

学生の頃は、早く結婚して若いお母さんになりたいと漠然と思ってました。
社会人になってもその夢は変わらず
なぜか、はやく結婚したいと思っていました。

20代の後半で、今の旦那さんと出会うことになります。
30歳になる前に結婚したい私は、旦那さんに仕事のように
結婚までの道のりのタスク化し、スケジュールを引きクリティカルパスを明確にしました。
当時旦那さんは「付き合った時から結婚すると決めているのだからそんなにあせる必要があるのか。」と言っていました。
当時の私は、「だって30歳になっちゃうんだよ。」とか
誰かに押し付けられた幸せのルールとやらにまだ従いたいと思っていた。

旦那さんと結婚して2年がたちました。(もうすぐ3年目)
今、思うと確かに結婚するのはいつでもよかったな。と思うし
ただ、結婚しているというステータスがほしかったんだなとも思う。
旦那さんは、私の考えに寄り添ってくれ、一緒にどう思っているのかを考えてくれる。
一番の私の理解者であり、私の承認欲求をただただ満たしてくれる存在でもある。一緒にいることができてよかったと心から思える。

幸せとはなにか


当たり前に手にすると思っているものは本当に自分にとって幸せなのか。
その当たり前は、誰が決めた当たり前なのか。
当たり前にくる幸せと漠然と思っていたもの

20代で結婚して、子供を生んで(3人くらいかなー)
家(しかも一軒家の庭付き)を買って、犬を買って家族と仲良く暮らす。

漠然と思っていただけなので、リアリティがない。
しかし、その当たり前の幸せを手に入れていない自分がなぜかダメだと
思ってしまっていた。

今の会社に入社して
自分が何がしたいのか。大切にしているものはなにかを考えはじめた。

しかし、考えはじめただけでは、人は変われないことにも気づきはじめる。
変化するきっかけが必要でそれは人それぞれタイミングがある。

私は、たまたまそのタイミングが今きていて
私の感じている”女性の当たり前の幸せ”は
ただの私の勝手な思い込みであること。
(それを手に入れたからといって幸せではないこと)
自分にとっての幸せとはなにかを自分の大切にしたいものを考え
自分で決めることができるということ。

いい女性像とか、いい嫁像とか、いい母親像とかは私の幸せではない。
なぜか、思い込んでいた”なるべき像”でしかなかった。

私はわたしらしく生きていたい。と本気で思えて
その気づくきっかけを一人でも多くの女性と一緒に考えたくて
いまracisaというプロジェクトにコミットしている。

↓racisaプロジェクトに関してのnoteはコチラ

↓ちなみにracisaのTwitterもやっているので覗いてみてください。


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