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「かわいいね」が自己肯定感を下げるステージを用意してくる

駅の乗り換えで、エスカレーターに乗った。
この日、私は友達と一緒に上野に向かう途中だった。
友達には4歳の娘がいる。

エスカレーターに乗り、友達の子供に話かける。
「今日もかわいいね。」
「うん。」
すごく素直に私の「かわいい」を肯定してくれた。
自己肯定感を育んでいるフェーズだ。と感じたので、抽象的なかわいいではなくなにがかわいいのかをきちんと伝えようと思って、友達の娘のかわいいと感じた箇所を具体的に伝えたら、嬉しそうにすべてに「うん」と笑って答えてくれた。

「かわいい」が怖い

いつからだろう「かわいいね」という言葉に「そんなことない」と答えるようになったのは、、

小学生の頃、ぶりっこと陰で言われて無視されるのが怖いと感じたことがあった。そこからしばらく「かわいいね」と言われた時の対応に細心の注意を払っていた。「かわいい」は容姿を褒めるときに使用するだけではない。着ている服・持っているペン・使っているかばん・書いた文字。とにかくなんでも褒めるときに「かわいいね」がでてくる。

女子はやたらと「かわいい」を多様するにも関わらず、「かわいい」を集めすぎるとめんどくさくなる。

年齢を重ねることって楽しいな

年齢を重ねると、そんな思春期みたいなことは起こらなくなる。かわいいものはかわいいでいい。あと伝える語彙力が増えたのと、世界の広がりにより自分が思うかわいいとみんなが思うかわいいが違うこともわかってくる。

妬み・嫉妬という感情より、応援という感情がその「かわいい」の周りに溢れてくる。

アイドルの応援をはじめたのもあり、「かわいい」が常に応援の感情で溢れた世界に浸かることもできた。

年齢を重ねると「かわいい」は怖くなくなるけど、途中の仮定でだいぶ自己肯定感を削られてくる。

友達が娘の回答に「そのまますくすくかわいいで育ってほしい」とつぶやいた。

そうだよね。自己肯定感を削るステージはなくてもいいと私も思う。「かわいい」から溢れる感情が応援で包まれていくといいな。

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