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できないことをできることだけが成長だった昔の話

できないことができるようになることは、わかりやすく成長を実感できる。
私たちは、生まれてからできないことをできるようになって褒められてきた。だから、できないことができるようになったときに、成長したと自他ともに思いやすい。

例えば、子供が歩けるようになったことは誰がどうみてもその子供の成長だろう。いつのまにか。いつのまにかに、その成長がわかりにくいものになっていた。

社会人になって感じた苦しさ

社会人になるころには、できないことができるようになるには相当の努力が必要になったいた。いままでなにもしないで身についてきたことでは頭打ちになってきた。できないことをできるようにならないと、優秀な人たちに迷惑をかけてしまうと思っていた。

できないとなくして、はじめて胸を張ってスタートラインにたてると思っていた。私は苦手がたくさんあった。ヘラヘラしていたけど、その苦手がある限り他者が褒めてくれることを受容できなかった

ある時、一緒に仕事をした先輩に
「へんちゃんは、俺と違うね。」と言われたことがあった。
話を聞くと、先輩はできないことをできるようにするより、できることを伸ばすほうが得意と話してくれた。「だから、できないことをできるようにしちゃう、へんちゃんはすごいと思うけどね。」私からみて、その先輩は仕事ができてみんなからの信頼も厚い人だった。

「え。得意を伸ばすとかありなの?」青天の霹靂だった。「なんだそれ。」的な。

苦手の克服にもう疲れていたのもあって「得意、得意、得意」と考えはじめるが、得意なことがさっぱりみつからない。「できない」にばかり目を向けていたのでなかなか自分だけでは得意を見出せなかった。

得意を見つける方法

自分の中で自問自答しても、得意を見つけられなかったので、勇気をだして同僚に聞いて見ることにした。「私の得意なことってなんだろう。」急に聞かれてもでてこないだろうな、、と思っていた。しかし、同僚の口からは私の得意なところがたくさんでてきた。正直、驚いた。私にとって「あたりまえ」だと思っていたことが得意と分類されていたからである。素直に「それってあたりまえじゃない?みんなしてるでしょ。」と伝えると「みんなやってないよ。へんちゃんの特殊能力。笑」と言ってくれた。

まだ、信じられていない私に同僚はなにかあるたびに「それ特殊能力」と言ってくれるようになった。特殊能力を使用するたびに言われるので、少しずつなにが特殊なのかがわかるようになってきた。

得意を見つけるには、誰かに教えてもらい続けることでしか、私はそれが得意と認めることができなかった。

バランス

得意を見つけられて、認められるようになった。そして伸ばすことも、できるようになってきた。しかし、人の成長ってどこまでいってもバランスだと思う。螺旋状の成長というか。どちらかだけではなくどちらも成長させることによってより成熟した人間になれるのだろう。と思った。今、自分がどちらを成長させてようとしているのか。それはただの逃げではないか。常に自分自身へ問いかけを忘れてはいけない。


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