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親の逝去、相続のことも区切り☆

こんにちは。

その後、前回の記事から8か月が経って。
相続は一通りの工程は終了。まだお金を受け取る作業が私のところだけ、終わってない。

相続も終わりになりかけ始めた昨年の秋ごろから、社会活動を始めた。福祉センターの一角で、その時集まった参加者で庭いじりをして、茶話会をして、というもの。内心、俄然やる気になってて、ピアノのピティナステップにもエントリーしたりしてた。

で、そんな時にその社会活動の人付き合いで躓いてしまう。私が気を使って話しかけても、「ハァ???」と雑に返してくる、元水商売をしていて、声がサケヤケしてる60代くらいの独身女性に出会う。他にも男性の参加者がいたけれど、その男性には、帰り際に「なんか触りたい」と言って、ずっとそのサケヤケ女性が男性の背中を触る。

そして、その彼女の応対や行動一つ一つに疲弊して、燃え尽きてしまう。帰ってからも、モヤモヤと悩んでしまって、寝るのも遅くなって…で、翌日が受診で、様子を見た先生たちが、「夢乃さんの、それはサインですよね」と。「嫌な想いして行くなら、無理して通う必要ないよ。ガーデニングはなし」と言われる。

それで昨日、担当の相談員さんと話してきて、「ガーデニングはなし」ということになる。相談員の人は「頻繁に通う必要もないし、嫌な人がいたら、庭いじりでサッと帰るのもありだよ」と話す。そして「そもそも、乗り越えて克服しないといけないものでもないし」と話す。

私は、何か目指してるものや目標などがあって、それが凄く調子が良い時に、不意に出会う出会いで思い通りにならないことや、自分が毛嫌いする要素が出てきて、結局、そういう言ったら外野の出来事に翻弄されて、目指してるものや目標などのことも順調だったのに、なし崩し的に失ってしまう、というパターンを持ってる。認知のゆがみというやつなんだと思う。

主人は、私のことを見て「潔癖」という。嫌なものは、ホントに嫌なんだよね。それは、ホント徹底してる。実は、そういう時の振り回されることは、そこまで自分にとって重要じゃないことだったりして、大事なのは目標などなのに、そういうものを上手く流せなかったり、受け入れられないのかもしれない。自分の中で、嫌な人ともしっかり関わらなきゃ、でもそれは、凄く嫌、のようなのがあるのかも。

もちろん問題は相手にあるのかもしれないけれど、それに無理して付き合い続ける必要もなく、まともに相手しなければ良いんだよね。そういうのが凄く下手くそだったりする。

その一件でガーデニングの社会活動は一旦、離れることになって、これからは、相談員の方の月一の面談を受けつつ、ピティナに向けて、始動する感じかな。まあ、でも、数年前も、ガーデニングは合わなくて…面談一つに絞ったし、収まるところに収まった感じかな。

きっと完璧主義とかなんだと思う。白だったものを白がなしなら、黒としてしまうような。白がちょっとグレーがかっても良いじゃない、と受け入れることが出来ない、というか。

担当相談員のSさんは、今、ご主人との関わり、みんチャレ、ブログ、YouTube…それ以上の対人交流の場は、必要なし、と話す。

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