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週末短歌 Nr.7|長井めもさん「没a」

かばんに入ったのも、Twitterを再開したのも、同世代で短歌をやっている人と知り合いたい……というのが大きな理由のひとつだった。とはいえ、そんなに簡単に見つかるわけないか、とあまり期待をしていなかった。ところが、ここ数カ月で同世代、しかも同じ1989年に生まれた歌人が何人も見つかり、とても驚いている。

Twitterでひときわ注目を浴びている89年生まれ歌人のおひとりといえば、長井めもさん。シンプルな言葉で深みのある短歌たちの魅力はさることながら、次席短歌連絡会をはじめ、さまざまな短歌イベントを企画して、勝手にTwitter短歌界のムードメーカーと思っている。めも氏によると、89年生まれ歌人は把握しているだけでも15名ほどいるというから、そのネットワークの広さにも思わず舌を巻いてしまう。

先日、そんなめも氏にアタックして、初ネプリ「没a」を入手した。もうとっくにネプリを出されていたのだろうと思っていたので、「初」と聞いて、ちょっとびっくりする。そして、「没」とは思えないくらいの、まぶしい歌たちに圧倒されるのだった。僭越ながら(はじめてこの言い回しを使ったかもしれない)、気になった2首を取り上げたい。※掲載順

インベーダーゲームで敵を撃ち落とす理由は教えてもらえないまま

▶ この作中主体は無表情だと思う。無表情のまま敵を撃っている。何度か読んでみて、戦争が思い浮かび、だんだん恐ろしくなってくる。もしくは、理由を教えてもらえないままにやり続けていること、上からの指示で質問は一切受け付けない、みたいな恐ろしさ。いずれにしても、出口が見えなくて、なんだか不安な気持ちになる(決して悪い意味ではない)。

研ぎ汁を透けるまで研ぐ尽くせない言葉のことを無視したかった

▶ そもそも研ぎ汁が透けるくらいまで米を研ぐことが、いかに時間のかかることで、力のいる作業であるか、感覚として伝わってくる。それに続く「尽くせない言葉」とは、誰かに許しを請うための言葉なのだろうか。どんなに考えても、どんなに繰り返しても、それを無視してしまいたいほどの、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。

わたしの読みが当たっているかどうかは別として、評を書くのはスリリングで、とてもおもしろい。短歌の勉強もかねて、しばらくいろいろな方の評を書いていけたらと思う。もちろん、テクニックも盗みつつ……!

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