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低気圧BBA

更年期と月に一度の訪問者により、どうしても心も体も落ちる時がある。

予定があれば薬と気合いで騙し騙し動くものの、何もない日は一日中怠惰だ。ましてや今日は雨。三拍子、いや寝る根拠が四拍子揃う。

といっても布団の中で動かず一日中ゴロゴロできるわけもなく、最低限の家事だけはこなして、あとはこの鬱々した感じを紛らわすために、ライナスのようにブランケットを纏い切磋琢磨する。

切磋琢磨と書いた途端に罪悪感に襲われた。何をしているのかというと結局はゲームと暴飲暴食だからだ。

普段と変わらんやん、と私の分身BBAその1がディスってくる。いやいや、普段は運動もするし、本も読むしドラマも観るし下手なギターも弾くよ。手芸もするし散歩もする。

まあ、どっちにしても遊んでばっかだよね。分身BBAその2が言う。なぜか標準語。そうだよ。専業主婦だからな。働きたくないし。いや、正確に言うと働きたくないわけではないんだ。50にもなると選択肢が狭い上に、我が家にはまだ低学年の息子がいるのでさらに狭まるのだよ。という標準語の言い訳を垂れ流しつつ、ゲームに勤しむ。スプラトゥーンのガチアサリ。随分前からやっているのにまだウデマエXにはいけていない。

ガチアサリはバスケみたいなゲームだ。ボールの代わりにアサリをゴールに入れる。オンラインで知らない人達と4対4でインクを塗りあって倒したり隠れたりして戦っていると、その瞬間は生きている感じがする。いつからだろう。生きている実感を探すようになったのは。若い頃はそんな事いちいち意識しなくてもいつも色んなことに悩み、考え、泣いて、乗り越えたり諦めたりして毎日を生きていたのに。

色々嫌なこともあったけど仕事も楽しかった。劇団に所属していたので仕事の後は稽古して、終電まで作品を良くするためにメンバーと試行錯誤して、寝不足でも美味しいものを食べてなくても充実していた。自分の空洞を埋めるのに戦闘やお金やお菓子は重要ではなかった。

私は幸せなのだ、と当時も今も思っている。
若い時は好きな事をやっていて、自分の意識次第で健康な生活を送れていた。今だって自分で望んだ家族がいて、夫の稼ぎで健康な生活を送っている。何が不満なのだ。なぜ私はこんな文章をツラツラと毎度垂れ流しているのだ?

空白の時間ができた途端に、些細なきっかけで泣いてしまう。犬の動画を観た時に。詩人の言葉に。いつか聴いた音楽に。
考えるな。泣いてしまうから。いや、考えろ、自分の怠慢を。甘えて生きるな、いや、甘えればいいのだ、今はそれしかできないのだから。
そんな事を頭の中でぐるぐる巡らせながらガチアサリに潜る。インクを当てて敵を倒す。
そして別の敵に倒される。煽られて私は何を考える?私の敵は私でしかない。

明後日くらいには割とケロリとして、運動もして、本も読んで、歌を口遊んだりして、出かけたりするのだ。インスタで映えを狙った写真撮って載せたりするのだ。それだけで空洞は埋まるわけではない。ただ、誤魔化すことはできる。
無い物ねだりの尽きない戯言。

月に一度のこの鬱々したどこもかしこも痛みに感じる時間は、意外と大事な、貴重な時間なのかもしれない。書いてみたら悪くないかも、と思えてきた。その上、私が横になってグダグダしていると子供達がいつになく静かだ。彼らなりの気遣いを感じる。これを当たり前に感じてはいけない。

久しぶりにネットに晒す文章がBBA丸出しで躊躇するが、これも私のありのままの人生。更年期よ、低気圧よ、生理痛よ、読んでくださったお方、ありがたや。

更年期の皆さま、共にこの時間を楽しみませう。