物語と出会うとき
あの頃がどんなだったか。
セドナでホワイトバッファローの伝説に出会った経緯もちょっと不思議だった。
そもそも冬に知り合いがセドナ行ってきたというので、ふとした折に立ち話で、セドナってどこ?どんなところ?と聞いたら、凄かったよー!
赤い大地でね、と言われたときに頭の中に景色がひろがった。
私もそこにいく。
アメリカらしいということくらいしか把握していなかったが、何故かそこに行くとその瞬間に決めてしまった。
後からネイティブアメリカンの聖地であることや、他の知り合いも行ったことがあって、そこでガイドのナナさんを紹介してくれた。
ひとつだけ、スエットロッジをやってみたいという希望だけあった。
初日にナナさんはまず町外れの小さなお土産屋さんに連れていってくれた。
妖精の小川に案内してくれた帰り道にあるお店。
ネイティブアメリカンのものが沢山あって見ていて飽きなかった。
ちょっとした博物館のようだった。
一つの絵葉書に心を奪われた。
ホワイトバッファローが描いてあって、そこから白い皮の服を着た女性がパイプを捧げ持っている絵だった。
吸い寄せられるようにその絵をじっと見ていると、ナナさんがきて、それはホワイトバッファローの伝説という物語で、最終日にやるスエットロッジの儀式の時に儀式の前に語られる話だよ。
と教えてくれた。
それから最終日、その儀式の前にティピの中でホワイトバッファローの話をシャーマンから聞いた。
ああ、ホワイトバッファローの曲を作りたいなと思った。
2011年の2月の終わりだった。
日本に戻って曲を作ろうかなんて思っていた時、東北の震災があった。
曲を作るどころじゃない気持ちになった。
ちょうど3月13日に録音のためにホールを予約していた。
ピアノの竹井さんと7曲録音した。
本来はデモテープを作る予定だった。
それはその後チャリティーCDに生まれ変わって、宮城気仙沼で牡蠣の養殖をしている森は海の恋人の団体に寄付をした。
沢山の仲間がその活動に参加協力してくれた。
CDを作った後、そうだホワイトバッファローの曲を作ろうと思っていた事を思い出して、改めて物語と向き合った。
ナナさんに物語の翻訳をしたものを送ってもらって読んだときに、今この時こそこの物語は必要とされていると感じて、ストーリーに沿って7曲作った。
たぶん一月くらいで作ったのだが、今思い出しても寝ても覚めてもそのことばかり考えていて、ろくにちゃんと生活をした記憶がない。
夏にはホールで初披露して、冬にはCDを制作していた。
CDは1000枚作って完売したので、しばらくそのままになっていた。
ホワイトバッファローの7曲を最近ではなかなか披露する機会がなくて、ちょっと眠っていたかもしれない。
先日馬の動画で新曲を公開した時に、題名をギフトにしようと思って、そういえばホワイトバッファローの7曲の中にもギフトという題名の曲があったと思い出した時に、この曲達を今のタイミングで再び世に出そうと思った。
今夜も二曲目を公開します。
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