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生まれてきてくれてありがとう

朝7時、母からメッセージが届いた。「生まれてきてくれてありがとう!」

そういえば去年ももらったなぁと、1年前の誕生日を振り返る。“銀座で寿司が食べたい“と友達に頼んで、連れて行ってもらったが、それ以外のことは正直あまり覚えていない。人の記憶はあいまいなもので、きちんと記録しておかないと容赦なく忘れてしまうものなのだろう。

今年はと言うと、日付が変わった0時から本厄にふさわしい悲劇を迎えて歳をとった。1年かけてやってきたサーティワンプロジェクトの最後の記事を、9月25日ギリギリまでやっていたことから事件の予兆は始まる。23時頃にぎりぎり完成し、記事チェックでプレビューURLを送ったところ、記事が3時間前の状態に戻っていたのだ……!

衝撃過ぎて思わずツイッターを更新。

「note 保存 戻す」などでググっても、保存状態の版数を戻す方法はどこにも見つからない。書くのにかなり苦労した記事だけに、絶望感が襲ってくる。もう1度書き直しか……気づいたころは23:30。あと30分で私は誕生日を迎える。やるしかない。書いていた時の記憶を頼りに記事を修正しはじめた。

ここ、どんな言い回しにしてたっけ……この文章確か消したんだったよな……そんな風に修正するものの、時間は何食わぬ顔で過ぎていき、私の眠気も限界が訪れる。さらに26日は、早朝から取材に出かけなければいけない。いつもより2時間早く起きるのだから、夜更かしはしてられない。

「こんな誕生日の始まり方ってある…?」とへろへろになりながら友人に電話し、「もうダメだ、死にそうだ……」を何度も繰り返して寝落ちした。私らしいというか、本厄のせいだからというか、うっすら予想していた悲劇。誕生日とは言えこんなもんだろうな、と思う。

朝は無事に起きられて、取材先に向かう。ここで悲劇からの脱却に成功した。連載させてもらっているバスクリンの森に入った瞬間、夜の出来事が嘘のようにすっきり爽やかな気持ちになったのだ…!

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森の中に寝転がって腹式呼吸して、私と森が一体になっているかのよう。深い安心感と、底知れぬリラックス感に包まれた。なんて素敵な日なんだろう。誕生日にこの取材を入れるなんて、ほんとグッジョブだったと自分をほめてあげたい。

夜は友人に、おいしい焼肉屋へ連れてってもらった。口の中でとろけるほどの焼肉をほおばり、お腹をパンパンに満たす。食後は軽い運動にカラオケ。普段遊ぶ時と大して変わらないルートだけれど、なんでもないこんな感じも悪くない。

20代は綺麗な夜景の見えるこじゃれたレストランで、フレンチやイタリアンを楽しみ、サプライズのケーキとともにプレゼントももらう誕生日が良かった。誕生日は非日常で、自分がお姫様になれる日だと思っていたからだ。

けれど最近は、変に気取らない誕生日が好きだな、と思う。いつもと変わらない友人とわいわい楽しんだり、テンション高めなメッセージにハートをたくさんつけて返したり。覚えていてくれることが嬉しいし、「おめでとう」の言葉が、歳をとることをポジティブにしてくれる。

絶望からの始まりだった誕生日も、大好きな人たちのあたたかい「おめでとう」に包まれて、もうすぐ終わる。

ことしも無事に歳を取れてよかったな。来年はどんなふうにすごしてるのだろう。


去年の毎日note


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