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社会における、人生における“障害”とは

人は、人生でどのくらいの人に出会うのだろう。どのくらいの人の気持ちに寄り添い、理解したいと思えるのだろうか、と考えた。そんなふうに思ったのは、週末に読んだマンガがきっかけだ。

話の内容はよくあるラブコメディなのだけど、カップルの男の子がヤンキーで、女の子が弱視という、いわゆる“普通”からはちょっと外れていると思われてしまう二人。だからこそ、「よくあるラブコメディ」の中に考えたことも無いような視点が入っていて、思わずホロリと涙が流れてしまうストーリー。

その中で、「そもそも『障がい者』とか『健常者』じゃねえ同じ人間だし」というセリフがあった。うんうん、そうだよね。突き詰めれば同じ人間。とはいえそれはなんだか、『健常者』から見たからこそ言えることかもしれない――。そんなふうに思っていたら、次の言葉が目に入った。


「生きるのに『障害』がねえ奴なんてどんだけいるのかって話」


生きていくうえでの『障害』。それは目が見えないとか、耳が聞こえないとか、そういうことだけではない。周りの人の気持ちを考えすぎて疲弊してしまったり、ちょっとした一言にすぐ傷ついてしまったり、“生きづらい”と考えてしまうソレも立派な障害だ。そう考えると、生き抜くために障害を感じない人って実は全然いないんじゃないかと思えてくる。

「世の中にはいろんな人がいて、それぞれに世界がある」

学生時代に短期留学を3回経験し、各国の学生が集まる国際ボランティアにも参加して、よく理解していたことだと思っていた。けれど、出会ったことのない世界に対してはやっぱり想像が及ばなくて。私の見ていた世界は本当に一側面しかないんだなぁと痛感したマンガだった。

私たちが生きる“人間社会”について、当たり前だと思っていた常識をやさしく崩してくれる。

良かったセリフ、これからちょこちょこ紹介していきます。


気になる言葉、魅力的な言葉を集める共同マガジン「コトバツムギ」。共同運営者は以前ライティングスクールで一緒に学んだスミヨ。さん。月~金までのうち、私は月・木を担当しています。

一昨年の毎日note


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