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食事を充実した時間にするには

金曜夜、飲んで帰ってきてもまだ寝たくない時がある。ここ1,2か月は特にそう。「次の日休み」がチラついて、眠気が覚めてしまうのだ。そんな時に最近は、アマゾンプライムで『女くどき飯』を見始めた。本を読むには疲れているし、映画を見るには時間がかかりすぎる、そんな時に30分程度のドラマが最適だと気づいたからだ。

イケメンとおいしいご飯を食べる仕事……っていうだけで幸せ溢れるドラマなのだけど、食べたときの感想や食に集中する主人公の恵の様子が好きで、見ていると大切に食事をとりたくなる。

ドラマを見ている途中、ふと永平寺で参禅修行をした時のことを思い出した。修行中に出される精進料理を食べている間は、しゃべってはいけない。さらに「片手でお椀を持って、箸でおかずをつまんで食べる」なんて常識的にやっていることも永平寺では禁止だ。お椀をもってご飯を食べたら、お椀と箸をおいて噛む。一皿一皿、持ち上げては食べ物を口に運び、そして一度お皿を置き、その食べ物を味わう。

その行為はまるで、料理一つ一つと向き合う愛の行為のよう。ご飯ならご飯、みそ汁ならみそ汁、それを口に含んでいる間は、それだけと向き合っている。女くどき飯を見ていると、永平寺で食事と向き合った、あの愛の日々と重なる部分を感じた。

ふだん食事をしているときは、考え事をしているか、スマホを見ているか、テレビを見ているか、食事以外のことも色々してしまう。食べているときの「頭を使わない時間」がもったいないような気がして、「食べ終わって今日中にやることは…」とか、「今日何をnoteに書こう…」とか、頭の中でいろいろ考えを巡らせてしまう。

もっと食事と向き合いたい。『女くどき飯』で完全に洗脳されて、今日はお昼に入ったトンカツ屋で、トンカツと真摯に向き合ってみた。

出されたトンカツの半分にソースをかけて、まずは一口。おいしい。トンカツはしっとりとして柔らかく、ソースの甘みも効いている。けれどソースの味が強すぎて、ソースを食べているような気持にもなった。

残しておいた半分に、塩をつけて食べた。……おいしい! ソースをかけたときはしんなりしてしまった衣が塩の場合はサクサクしたままで、そのうえ豚肉は同じように柔らかい。塩が引き立てるからか、肉の甘みも感じられた。塩で食べるとこんなにおいしいのか…! と、頭の中で感動が巻き起こる。

食事も終盤にさしかかったところで、キャベツが大量に余っていることに気づいた。配分ミスだ。どうしたら効率よく、そしてバランスよく食べられたのだろうかと反省しつつも、キャベツを多めに食べるようにした。みずみずしくて、料理から水分を摂取している感覚がくっきりとわかる。それでも最後はキャベツを"片付ける"形で完食し、満足してお店を後にした。

*

帰り道は、じんわりと幸せな気分が私をまとった。「トンカツ」のことだけを考えて食べたことで、逆に頭がすっきりしている。おいしかったな、とか、次はこうやって食べよう、とか考えていると明日のランチまで楽しみになる。ランチを「頭を使わない時間」にするか、「別のことを考える時間」にするか、それとも「ご飯と向き合う時間」にするかで、その時の充実度がこんなに変わってくるのかと新しい発見をしたような気持ちにもなった。

その時が充実しているか、楽しめるかは、"今に集中すること"で実現するのかもしれない。明日は何食べよっかな。


去年の毎日note


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