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「〇〇したい?」に迫られるストレス

日常生活の7割は「なんでもいい」からできている。昼ご飯はお弁当でもコンビニご飯でも外食でもいいし、夜ご飯はパスタでもみかんでも食べなくてもいい。休日だって、やりたいことがあれば自分から動くから、特に動かないときは「なんでもいい」ときだ。

そんなこだわりのない日々を送っているからか、「〇〇したい?」と聞かれるたびに小さなストレスが溜まっていく。

明日会いたい?買い物行きたい?次の旅行は箱根じゃなくて、熱海に行きたい?どうしたい?

あなたが誘うなら私は行くよ。あなたがしたいなら合わせるよ。嫌な時は断るから、できれば「〇〇しようよ」と声をかけてもらいたい。

私はしたいのか、したくないのか。

真剣に考えすぎて、けれど「WANT」を使うにはそこまで意思が無くて、ダースチョコひとかけら分くらいの悩みが心の中に溜まっていく。それに回答を出すために、少し時間が必要。即決しなくてはいけない場面では、ダースが二乗にも三乗にもなっていく。

ほかの人から見れば、「そんな些細なことで悩むのか」とあきれてしまうほど、何気ない「〇〇したい?」の一言に踊らされ、悩まされ、頭をかかえてしまうこの性格。仕事における質問は、判断する軸があるからいいのだけれど。

日常生活における自分の軸は、一体どこにあるのだろう。


去年の毎日note


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