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「やらなきゃいけない」マイルールを辞めて好きなことを始めたら、毎日が楽しくなった。ーー31企画インタビュー

誰にインタビューしたの?

私の母校・都立立川高校(以下、立高:たちこう)の同級生、美和子(みわこ:写真左)。当時、美しくて旬な女子が集まるダンス部に所属していた彼女は、私にとってかなり遠い存在でした。猿みたいな短髪で、ジャージに便所サンダルを履き校内をうろつくバスケ部の私。高2の頃「プリクラください」と話しかけて以降は話したことも無かったと思います。

高校卒業後、お互いなんとなくmixiで足跡を付け合いながら1,2か月が経ち、彼女の誕生日に思い切ってメッセージを送ったのがきっかけで、2人で遊ぶようになりました。

「目を見て話すのが苦手」と言う彼女。人見知りで、距離を縮めるのに時間がかかるのだけど、話し始めるとイメージがどんどん壊れていきます。

レストランのメニュー選びは即決するし(静かな子=優柔不断だと勝手に思ってた)、気づけばインドに一人旅しているし。特に夏のセールへ一緒に行った時の、彼女の行動力は10年経った今でも忘れられません。

そんな美和子のSNSで、数年前からイラストを見るようになりました。おとぎの国に出てくるような、可愛い女の子や動物が登場する、ふわふわして温かくなるようなイラスト。どうやら彼女が描いているらしい。

知れば知るほど色々出てくる美和子。たまに遊ぶ仲ではあったものの、「生き方」についてじっくり聞く機会はなかったなぁと思い、気になってインタビューをお願いしました。

プロフィール
名前:美和子(noteinstagram
東京都東大和市出身。都立立川高校、早稲田大学国際教養学部卒業。新卒入社した会社で参考書の編集を行っている。趣味は旅行、読書、お絵かき。


“周りにあわせてのんびり生きてた”中学・高校時代

ーー美和子は今、参考書の編集が仕事だよね。

そうそう、2010年に新卒で入社してから資格取得の専門予備校を運営している会社の出版部に所属してる。教科書や問題集、参考書の編集が仕事内容。

仕事はまぁ好きで、出版物に掲載するイラストのラフを書いているときが特に楽しい!

ーーだから個人でもイラストを描くようになったんだ?

絵を描くのが好きだったのは、小さい頃からかな。とくに少女漫画や可愛いキャラクター、メルヘンな絵をずっと描いてた。でも中学生になると、休み時間に絵描いてる子もいないからいじめられそうって思って、自然に離れていって。絵よりもファッションについていかなきゃ……みたいな。

だから出版部に入ってラフを描いたら、すごく楽しくて。ほかの編集者にも「描いてほしい」って頼まれたり、簡単な販促物の絵も描かせてもらったりしているうちに、「やっぱり描くの好きだ」って夢中になっていった。人に発注してあがってくるのも好きなんだけど、自分でもやりたくなって個人的にも絵を描きはじめたよ。

ーーいじめられそうって思ったんだ(笑)

うん(笑)。中学までは周りに合わせてのんびり生きてたと思う。私は上に兄が3人いるんだけど、進学先の高校を選ぶ時も兄の1人が立高に行ってたからで、「行事もあって楽しそう~」みたいなノリで選んでて。

高校は私服校だったから、ファッション雑誌を読み込んで、安くたくさん買っていかに着こなすかを考えたり、ダンス部に入ってみんなで踊ったりしているのが好きだった。それなりに頑張ってたつもりだし、毎日楽しかったな。

「私って落ちこぼれかも?」逃げちゃだめだと言い聞かせた大学時代

ーー大学の進路はどうやって考えたの?

最初はMARCH(明治、青山、立教、中央、法政大学)のどこかに入れればいいなって勉強を始めた。そのためには早稲田や慶應に受かるくらいの勉強をした方がいいって言われて目指してたんだけど、ふと家族がみんな、高学歴なことに気づいてしまい……。

ーー「家族が高学歴」とは。

兄たちは東大と慶應大、都立大を出てて、親は東大と千葉大卒で、末っ子の私は最後のひとり。親から特に何か言われたわけでは無いんだけど、「自分だけ落ちこぼれたらやばい」と焦りが強烈に襲ってきて。

頑張って勉強して、受かって、早稲田に入れたのはよかったんだけど……。

ーー早稲田の国際教養学部だよね。すごい独特なとこ行ったなぁって思ってた!

本当に独特! 高校の頃は英語もできるほうだったのに、学部は帰国子女がほとんどで、そこで初めて「私って落ちこぼれかも」って思った。

在学生や卒業生に、優秀な人や社会で活躍している人が多い大学だから、「早稲田の学生です」って言うだけで周りからは「すごい人」って思われてしまう。別に私ってすごい人じゃないのに? と思うと自意識がガチャガチャしていって。私が考えている“私”と、周りから見られている“私”が乖離してしまった。

さらに、私の周りにいる早稲田の学生が、「地方から単身で乗り込みました!」みたいに意志のある子が多くて、「みんなすごい、私今でも実家だし、のほほんと生きてきすぎたのでは……」てすごく焦った時期だった。

ちゃんと目標をもって、それに向かって動いている人がまぶしく感じてた。私将来やりたいこととかもないし。暇だし。何しよう。みたいな。

何もできていないことにイライラしたり、「逃げちゃだめだ」って考えたり。「周りと比べて自分は何もやってない」って、でもそう考えているだけで、時間が無駄にすぎていっているような気がしてた。

ーー美和子は大学時代、カナダに1年留学もしてたし、頑張っているように見えてたけどな。

留学も、兄が行ってたから私も、みたいなところがあったかな。だから実際行ってみてすごく苦労した。早稲田から2人しか行かないプログラムを選んだら、本当に友達ができなくて……! 現地で彼氏ができたおかげで、そこからなんとか彼氏の友達を通じてだったり、授業に慣れてきたりして、仲良い子ができるようになったなぁ。

授業も日常生活もすべて英語で、頑張らないとついていけなくて。カナダ留学は、初めて主体的に勉強を頑張った期間だと思う。

そんな生活を経て「あ、勉強って楽しいかも」って思ってきた。それまで嫌いではなかったけど、出来るところまでなんとなくやってた感じで、本当にのほほんと生きてたなぁって思う。

ーー当時、大学院行くか悩んでるって言ってたよね。それは勉強が楽しかったから?

それもあるけど、論文が書きたかったのが一番かな。留学先で小論文の課題が多くて、書いているうちにどんどん楽しくなっていって。もっと論文書きたいから大学院行きたいって親に言ってみたの。そうしたら「行ってどうすんねん!」と。文系で大学院に行っても就職が難しいぞ、と助言を受けた。

結局大学院は行かなかったけれど、そこで学ぶことと文章を書くことが好きだなって思って、就職活動して、今の会社から内定をもらえて、今働いているよ。

「やらなきゃいけない」から、「やりたかったらやってみる」に変わった社会人生活

ーー話を聞いてると、これまでは“周りと合わせなきゃ”という気持ちが強かったのかなって思った。「楽しい」を基準で選んだのが今の会社なのかも?

「〇〇しなきゃ」という気持ちは強かったと思う。「結婚適齢期になったら結婚しなきゃ」もその1つ。親が子どもを4人産んで、自分の洋服代とか、時間とか全部なくなって、子育てに邁進してて。自分もそうなるものだというのが根強くあった。

家族から「自分と同じ道を生きてほしい」なんて言われたことないのに、自分で勝手に気にしてしまって。違う生き方をして、どういうふうになるのかわからない怖さがあったのかもしれない。

ーー就職して、それは少し和らいだ?

仕事についた安心感はあったけれど、それからも、難関資格をとらなきゃとか、謎の「何かやらなきゃ」はずっとあったかな。「自分はここまでできる」証明が無いとダメだと思ってた。

勉強は頑張れば出来たから、資格を取ったほうがいいんじゃないか、とか、イラストや文章も好きだけど、それで食べていくわけでもないしなぁとか。

ーー好きなイラストをやりだしたのは、どういったきっかけがあったの?

ちょっと言いづらいんだけど……恋愛で嫌なことがあった時期がきっかけ。その時はまさに「結婚しなきゃ」に追われていて、料理や家事を頑張っていた時。料理教室も通ったし、習い事も“役に立ちそうかどうか”で選んでいた時期で。

けれど「まだ結婚もしていないのに、結婚をするために生きているのってすごく嫌だな」て思い始めたんだよね。「やらなきゃ」と思ってることより、とりあえず自分の好きなことをちゃんとやろうって、イラスト教室に通い始めた。確か28か29歳くらいの頃。

やりたいことを思いつくまま、とにかくやっていってけば出来るようになることもあるし、最初から全部出来ている人っていないよなって自分を励ましながら、「やりたいならやってみればいいじゃないですか」って。

ーー教室に通い始めたから、何か変わった?

出来なかったことが出来るようになったのはすごく嬉しかった! 教室では「週1で通って、1枚絵を完成させる」ペースに沿って、アドバイスをもらいながら描いてたんだけど、そのおかげで自分なりに成長できた。あと教室の忘年会で初めて、イラストを描いている人と仲良くなって、つながりができたのも良かったな。

色々学べたから最初は楽しかったんだけど、結局そこでも「やらなきゃいけない」ことが多くなってしまって。

ーー「やらなきゃいけない」こと?

「こんな絵を描きなさい」って言われることが増えてきたように感じた。私は可愛い女の子や自然、動物の絵を、細かい線で模様や柄もたくさんつけて描くのが好き。けれどまだ技術が足りないから、教室では「シンプルな線で絵をかけ」って言われて、サンリオやミッフィーみたいな絵をかいてたんだけど、ううん……ちょっと違うかもって思ってきてしまった。

だんだん「これが描きたいわけじゃない気がする」と迷い始めて、1年くらいでいったんその教室は辞めることにした。絵を描くことは好きだから、描きたい絵を描いてインスタに載せるのは続けることにして。

ーー描きたいものが違ったんだ。さっき「論文が書きたい」って言ってたけど、ブログも書いてたよね。

そうそう。大学院は行かなかったけど、「自分で書いてみればいいんじゃない?」と思って小説を書いたこともあった。その時は角川の賞に応募して一次だけ通ったりもして。

ブログは一部の知り合いにしか見せてなかったのだけど、絵を習い始めたのと近い時期にたまたま自分の文章を見てもらう機会があって、ポジティブな感想をもらったの。それから「ほかの人にも読んでもらいたい」と思って、Facebookで公開するようにした。

そのうち、しばらく疎遠だった子から「励まされた」とか、ブログ見たよって連絡をくれたりして、人に見てもらえるって恥ずかしいけど嬉しいなって思うようになっていったかな。

「休むって楽しい!」を実感した入院生活

ーーFacebook、よく読んでる! 2018年の夏は入院の様子を書いてたよね。すごく楽しそうで、どういうことだろう? って思ってた(笑)。

入院まではつらかったけど、入院生活がすごく楽しかった! 夏に胃腸薬を飲んでいたらアレルギー反応を起こして、身体が腫れたり熱が出たりして何だこれ……って、すぐに入院。

ただ症状が治まるとそこまで辛くなかったから、1か月の入院期間中、最初の2週間は毎日絵を描いて、漫画を読みふけって……。それまでは「休日も役立つことしなきゃ」と謎の焦りがあったのだけど、入院って休むことが一番重要じゃん。初めて何の罪悪感もなく、ゴロゴロするのが出来た時間だったな。

絵を描いてる時も、別に時間がないわけじゃないのにパパって描いて仕上げていたんだけど、お見舞いでもらったスケッチブックと色鉛筆で、時間をたっぷり使って描きだしたら、今までよりも丁寧な、満足するものが描けるようになって。「休む」ってすごい! 楽しい! って感動した(笑)。

ーーそんなに生き急いでたんだ(笑)。確かアクセサリーも作ってなかった?

そうそう、最後の2週間で友達もできて、アクセサリーを作っている人だったから一緒にやらせてもらったの。ラウンジで作ってると、3~40代の女性たちが興味をもって集まってくれて。久しぶりに学生生活みたいな雰囲気を味わえたなぁ。

ラウンジにいると、よく座ってるおじさんもいて、その人にずっと質問してた。ダンディーで、いつも看護師さんを笑わせてて。サーファーみたいな恰好をしているのに、職業聞いたらコンサル系のがっつりお金稼いでる人だったから、「仕事ではどんなことをしてるんですか?」とか、「病院の体制についてどう思いますか?」とか色々聞いてて。

ーー人見知りの美和子が積極的に!

「いける」って確信したら頑張れるタイプ(笑)。人見知りだけど自分の中に話したいことはいっぱいあって、自分なりの見解もある。おじさんはそれをちゃんと聞いてくれそうだし、おじさんの話にも興味あったから集中して質問してた。

入院までの調子が悪かった時は「全部嫌だ」って暗くなってたけれど、入院中出来ることが限られていると逆に、「これをやる」に集中できて。だんだん「入院生活いいかも」って思っていったかな。人にも恵まれて楽しく過ごしました(笑)。

「ちゃんと結婚して、ちゃんとした仕事してないと死ぬ」と思って生きてたけど、そんなことない。別に死なない。

ーーこれからしてみたいことはある?

今、ライターの仕事を副業でやったり、イラストの仕事も少しもらえたりしているから、今後はその割合を増やしたい。あとは絵本が書きたい! ストーリーと文章を考えて、書き始めているところ。

自分が考えていることを書くのが好きだから、理想はエッセイを書きたいな。そして最大の夢はイラスト付きエッセイを書くこと。

2018年から動物の絵の教室に通ってるのだけど、自分の好きな作家さんや先生が動植物の絵を通して、それらの保護に貢献している人が結構いて。その影響もあるからか、入院して、改めてどういうふうに暮らしていきたいかを思った時に、「自然のある環境で絵を描いたり文章を書いたり好きなことしたい」って浮かんできた。

ーーその生活良い。楽しそう。

今までは「自分で人生切り開いていかなきゃ」とか、「いい人生へいかに進めていくか」を考えすぎてギラギラしていたのだけど、入院して、「世界に生かされてるな」と思うようになった。自分のことだけじゃなくて、“世界に生かされている自分”を認識し始めた。

「ちゃんと結婚して、ちゃんとした仕事してないと死ぬ」と思って生きてたけど、そんなことない。別に死なない。生きていると色々選択肢があるけれど、最終的に、どっちでもいいし何を選んでも大丈夫。選んだ先で楽しいこと、やりたいことをやってればそれでいいのかなって思うようになった。

それでももちろん、うわーーって落ち込むこともあるけれど、そんなときはひたすら落ち込んで、紙に書いたり、枕をたたいたり(笑)、カラオケ行ったり。なんとかして出す。そうやって出してると、だんだん「別に死なないもんな」に行きついて、回復できるようになったかな。

あとがき

生きていると「やらなきゃいけないこと」を感じることがすごく多い。良い大学に入らなきゃ、良い会社に就職しなきゃ、良い成績残さなきゃ。そして20代後半になると、30歳までに結婚しなきゃ。30を過ぎてようやく落ち着くかと思えば、今度は子ども生まなきゃ(まだ結婚してないのに)と圧をかけられてしまいます。

そんなふうに周りからプレッシャーをかけられるものもあれば、周囲にある風潮を肌でしっかり感じ、自分の中で勝手に「こうあるべき」マイルールを作って、それへ到達しようと苦しめられてしまう。

もちろんそれが、やりたい「目標」であるならとても良いこと。決して「やらなきゃ」ではなく、「こうありたい」から作られた目標にしてこそ、楽しく進められるはずです。


私から見ると、もう充分頭も良くて、ハイスペックな実績を積んでいる美和子。それでも「何もしていない」とか、「なにかしなくちゃ」の呪縛にかかってしまうのだから、自分に対するハードルは、誰もが“自分基準”で決めているのだと実感しました。

けれどそうやって、自分に課してた謎の課題に対しても1つ1つ向き合い取り組んできた。だからこそ、実は知らずに抑えていた「やりたいこと」がぐんぐん出てきたとき、そちらにも全力で向き合えるのだな、と思います。

頑張って向き合ってきた「やらなきゃ」から解放された美和子は、これからどんどん楽しくなっていくのでしょう。いつか美和子のイラスト付きエッセイを、編集者として関わってみたいな。

▲ 美和子が書いた、私の似顔絵(大好きなラクダと一緒)


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