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生き抜くための雑記帳

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自己肯定感や生きづらさ、メンタルヘルス、思考のとらえ方などについて、生き抜くための問いや考え方を書いたり、学びになるnoteをまとめたりしたマガジンです。
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#自己肯定感

「自分には価値がない」と見放すことの弊害

「自分は価値がない」と思ってしまう、その“価値”とはいったい何なのだろうか。 仕事で結果が残せない。周りの会話についていけない。誰からも必要とされていない。だから、自分には価値がない――。価値がない自分に向き合うのが怖くて、必死に上を目指し、誰かの役に立つことで、やっと自分の居場所が見つけられる。そんな、自分には価値がないことを必死で隠そうとしていた私を、そっと撫でてくれる言葉があった。  「自分の価値を忘れてる人はおっても、価値がない人はおらへんのやで」 水野敬也さん

自己肯定感を下げることで怠けていたあの頃

大学時代、私の手帳には月に数個、真っ赤な「寿」のマークがちりばめられた。 友達に約束をドタキャンされるたびに、黒い横線を引いて取り消すのが悲しくて、でも少しでも前向きにと、「寿」を書くようになったのだ。 「突然バイトに入らなきゃいけなくなった」 「急に行くのが難しくなった」 私の予定は暇つぶしのようなもので、どんな出来事よりも優先度が低い。「寿」を書いてはため息をつきながら、それでも「また今度ね!」と笑顔で返事をしていた。 そんな出来事を笑い話にしたら、笑い話どころ

毎日輝こうとしなくていい。「ちょっと愛せるようになる」ことが大事

昨日は「自分は何もできていない病」に倒れ、ぐるぐると苦しめられながらこんなnoteを書いた。 自分のほめ方、どうすればいいんだろう……そんな嘆きを書き終えたところで、以前に買った本を思い出した。 3年前、何が原因だったかはもう忘れてしまったけれど、最寄り駅にたどり着いてからどこへ向かったらいいのかわからなくなってしまった時があった。今思えばまっすぐ家に帰ればいい話。けれど当時は、どこにも行き場がないように感じ、駅ビルのベンチにとにかく座っていた。 そして20分くらい座っ

起点は不安か意気込みか。同じ結果になったとしても

外出自粛が出てからというもの、リアルで会う知り合いは同居人のみに限られた。LINEで連絡を取る友人、オンライン飲み会をする友人は数人いるけれど、やっぱりリアルで会う時とは違う。何かに一枚隔たれて、守られているような、相手がよく見えないような気持ちになる。 同居人と私は、最終的に行き着く答えは一緒のことが多いけれど、スタート地点が全く違う。 たとえば、誰かの役に立ちたいと思う時。私の場合は「相手の役に立っていないと、ここにはいる資格が無いような気がして不安になるから、自分は

「誰とでも仲良くしなくてはいけない」の呪縛

誰かのことを「嫌いだ」と思うよりも、「嫌われてしまったかも」と考えてしまう。 言われたことに対して怒るよりも、「相手にそんなことを言わせてしまった自分が良くなかったのかも」と考えてしまう。 いつだって相手が優先で、人を嫌いになれないし怒れない。だって嫌ったり怒ったりしている自分は好きじゃないから。 * 小さい頃、親はよく私を可愛がった。「あなたは誰とでも仲良くできる子ね」とか、「人の気持ちがわかる子ね」とか、できることをたくさんほめてくれた。実際に私はクラスのどこのグ

心身崩れてカウンセリング受けたら少し生きやすくなった

私は今、仕事の量を減らしている。平日は会社員で、減らしているのは複業分なので、聞く人によっては「あぁ、そう」で終わる内容かもしれない。けれど「複業分の量を減らす」までに自己肯定感が地球の中心に届くくらいまで下がったり、夜中3時に大泣きしたり、40度近い高熱を出したりして「もう自分はダメだ」と思っていた。 きっかけはたぶん、毎週複数の納期に"追われている"と感じたことだと思う。年末くらいから休みがなくなり、気づかないうちに疲れがどんどん溜まっていたのかもしれない。そうなると些

思考を改める基準は「自分にストレスがかかってないか」

「どんな考え方も、正しい・正しくないとか、よい・悪いとかは無くって、自分が楽しければそれでいい」 しばしば、「こんなふうに考えるからよくないんだ」と思うことがある。お昼まで寝てしまった休日は「時間を無駄にした…」と思ってへこむし、人前で話したり、発表するときには「失敗したらどうしよう」と思って不安になる。 考え方を変えれば、「お昼までたくさん寝てすっきりした!」と元気になれるはずなのに、人前で話すなんて「好感度アップのチャンス!」とやる気に変えられるはずなのに。そう考えら

へこまないために。完璧な目標よりも最低ライン

どんな形であれ発信をしていると、毎回必ず反応をくれる人・たまに「よかったよ」と言ってくれる人・そして全然反応を示さない人の、3パターンの人間が存在する。 「毎回反応をくれる人」は、私にとって安心をくれる人。いつも気にかけてくれているような気がして、「こんなことでも言ってみていいのかもしれない」と思えるようになる。 残りの2パターンに出会うと、いつも少しだけへこんでいた。“いてもいなくてもいい人”の烙印が押されたような、自分の存在を消し去られたような気がして少しさびしくなる

どうして自信が欲しいのか。どうして自己肯定感をあげたいのか。

もっと自分に自信がもてれば、もっと自己肯定感があれば、きっと世界は生きやすくなるだろうなぁと思うことがしばしばある。 「自分はここにいるに値しない」とか、「才能がないからつらいことでも耐えるしかない」なんて考えながら生きる人生は確かに旨味がない。もっと軽やかに、楽しく生きられればそっちのほうがいい。 マイナスな面がある一方で、ダメなことばかりではないよなぁとも思う。自信が無いことによって努力することを覚えたし、同じ気持ちの人に寄り添えたりもする。自信がないこと、自己肯定感