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「自分には価値がない」と見放すことの弊害

「自分は価値がない」と思ってしまう、その“価値”とはいったい何なのだろうか。

仕事で結果が残せない。周りの会話についていけない。誰からも必要とされていない。だから、自分には価値がない――。価値がない自分に向き合うのが怖くて、必死に上を目指し、誰かの役に立つことで、やっと自分の居場所が見つけられる。そんな、自分には価値がないことを必死で隠そうとしていた私を、そっと撫でてくれる言葉があった。 

「自分の価値を忘れてる人はおっても、価値がない人はおらへんのやで」

水野敬也さんの小説『夢をかなえるゾウ』の最新刊だ。これまでのシリーズではタイトル通り“夢をかなえる”ための課題を、ガネーシャが主人公に命じていく。そして最新刊では、さらに夢を“手放す”ための課題も出てくる。その課題のひとつに対して出てきた言葉が、「自分の価値を忘れる人はいても、価値がない人はいない」だ。

さらに書籍の中には、こんな言葉があった。

”他人は自分の鏡て言うけども、他人に完璧さを求めるちゅうことは、それ以外のことに対しても――とりわけ、自分自身に対して――完璧さを求めてしまうねんな。そういう人は、自分の欠点が気になって頭から離れんし、普段の生活でも嫌なことばっか目についてまうから、いつもイライラして苦しむことになってしまう“

自分に価値がないと考えてしまうことで、自分がなすべきことのハードルがどんどん高くなっていく。これくらいやらなきゃ、これができて当たり前。その“当たり前”がどんどんハイレベルになっていくと、それにともない周りへのハードルも高くなってしまう。

そして、「これができて当たり前」の“これ”ができないことでひどく苦しみ、他人ができない場合も「どうして当たり前のことができないんだろう」と責めるようになってしまうのだ。

少し背伸びすれば届くならいい。けれど、“自分の価値”をあまりにも低く見積もると、高すぎるハードルを、自分にも、周りにも設定してしまう。自分で自分の人生を、生きづらくさせてしまっていたようだ。

自分のことを大事に思ってくれている人は、本当に誰もいなかったのか。自分が明日いなくなったとして、本当に誰も何も変わらないのか。忘れてしまった価値に目を向けて、すべての人に課してしまうハードルを下げていきたい。

去年の毎日note



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