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生き抜くための雑記帳

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自己肯定感や生きづらさ、メンタルヘルス、思考のとらえ方などについて、生き抜くための問いや考え方を書いたり、学びになるnoteをまとめたりしたマガジンです。
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2019年6月の記事一覧

目的でない「正解」に振り回される時

「仕事が出来る人と出来ない人はこういう行動が違う」という話は、雑談の中で自然に上がってくるトピックの1つだ。どういう仕事の仕方が良いか、逆に「この人ダメだ」と思ってしまう時はどういう時か。私が感じる時があるように、ほかの人も「出来る人出来ない人」のジャッジを下す時がある。 けれど誰かの仕事ぶりの話が出た時、「私はこの人に『仕事が出来ない人』認定されていないだろうか」と心配になってしまうことがしばしば起こる。 * 知らないうちに、誰かが定める"正解"に向かって動いてしまい

釈迦って実はHSP?出家ストーリーから考えた釈迦の気質

仏教の考え方は、私が感じていることを言い当ててくれたかのようなものが多い。特に南直哉和尚が解釈する釈迦の教えが自分にはぴったり当てはまっていて、「生きづらい」と感じる時を肯定してもらえているような気がする。 『仏教は、人生はつらく、苦しく、悲しいもの、せつないものだと断じています。たとえそうでも、すべてを抱えて死ぬまで生きる。その勇気こそが尊いのです。「いろいろあるけど、生きててよかったな」と思える一生を送る。』ーー南直哉著「禅僧が教える 心がラクになる生き方」より

理解できない人と向き合うメリット

海外によく出ていた頃は、これまでの考え方では理解できないようなことが起こり、「そもそも自分はどういう考えで過ごしてきたのか」を再認識することがあった。 各国で違うジェスチャー、「神様」の言葉に込められた意味、「めんどくさい」「どっちでもいい」を始めとした、英語に置き換えられない日本語の細かなニュアンス。自分の「当たり前」が違っていたとき、気持ちが大きく揺らぎ、決して自分が「正しい」わけでは無いことを知った。 とは言っても大きなことではない。「日本は八百万の神だけど、特に欧

人と違わなくていい、ただやるべきことをやる。

答えのない問いを追い続ける。「自分とは何か」「生きるとはどういうことか」など、考えてもわからない問いにずっと向かい続ける仏教に夢中なのは、自分の生き方と大きくリンクしていると思ったから。その考えはもちろん今でも変わっていないのだけれど、「自分」に向かう問いがちっぽけに見えてしまうほど大きく、動かしようのない思想があることをドキュメンタリー映画『うみやまあひだ』から学んだ。 伊勢神宮の森を切り口に、様々な人の言葉から自然と人との関わりを描いている。漁師、脳科学者、宮大工や建築

1回ダメでも終わりじゃない。人生のトーナメント戦から脱出する考え方

「上半身がずっと緊張状態ですね。これは相当ひどいですよ」 マッサージ店のお姉さんが驚くように言った。「こんなにこわばった筋肉見たことない」といわんばかりに、ひどい、ひどいと私の焦りを掻き立てる。マッサージ店に行ったら言われない人はいないんじゃないかというほど、決まって私は騒がれる。筋肉という筋肉がカチコチにかたまっていて、常に緊張しているらしい。 しかし、その"緊張状態"に慣れてしまっているため、正直なところ普段はあまり実感が無い。時々上を向けなくなるほど首が詰まるから、