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目的でない「正解」に振り回される時

「仕事が出来る人と出来ない人はこういう行動が違う」という話は、雑談の中で自然に上がってくるトピックの1つだ。どういう仕事の仕方が良いか、逆に「この人ダメだ」と思ってしまう時はどういう時か。私が感じる時があるように、ほかの人も「出来る人出来ない人」のジャッジを下す時がある。

けれど誰かの仕事ぶりの話が出た時、「私はこの人に『仕事が出来ない人』認定されていないだろうか」と心配になってしまうことがしばしば起こる。

知らないうちに、誰かが定める"正解"に向かって動いてしまいがちだ。関わる人が喜んでくれれば、過ごしやすくなってくれればと無意識に脳内が働き、誰かがマイナスの感情を抱くことに過度な恐怖を感じてしまう。

そして1度でも相手を不快にしたらいけないと、すべてがトーナメント戦だと思い込んでしまうのだ。

「この人にどう思われているんだろう」

一度不安になると、その人に好かれることばかりが頭の中によぎる。その人の反応が気になり、注意が向く。

しかし本来、重要なことはそこではない。特に仕事では「誰かの正解を狙う」ことよりも、「自分に与えられた仕事を全うする」ことのほうが重要なはずだ。本来の目的をすり替えてまで「正解」を狙うべきなのかは、いったん落ち着いて考えるべきなのだ。なぜなら結局「喜んでほしい」なんていうのは建前で、結局自分がよく思われたいだけなんじゃないか。褒められたいだけなんじゃないかとも思うから。

表面上を繕うよりもアウトプットに責任を持て。「誰かに好かれる」ためではなく、自分の成すべきことを成せ。

放っておくと"正解"にすがってしまう私に、そう言い聞かせている。


去年の毎日note


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