マガジンのカバー画像

編集とライティングと、働くこと

99
未経験から編集者を目指していた2017年以前の私に向けて、編集者の仕事、参考になるnote、編集者となった自分はどんなことを考えて日々働いているかをまとめています。
運営しているクリエイター

#日記

編集者になって学んだ、作品の味わい方

ひたすら『リアル』を見て泣いている。以前読んだのは19歳。その時も確かに泣けるシーンがあったけど、この十数年でずいぶんと刺さる言葉が増えた。なんでかなぁ。心に残った言葉たちを写経して、ちゃんとじっくり考えたい。 この十数年で変わったことは、涙もろくなっただけじゃない。心に残る作品に出会う度「どういうところから着想を得たんだろう」とか、「この言葉、どうやって導き出したんだろう」とか、「編集者さんと、どんな会話しながら作り上げていったんだろう」とか、作る過程やアイデアの源を知り

どうして書いているのだろうか

誰に何を伝えたくて、このnoteを書いているのか。 誰に何を伝えたくて、“伝える仕事”をしているのか。 ブレずに、堂々と、自分の「伝えたいこと」のために動いている人は、多いのだろうか、少ないのだろうか。きっと多いに違いない。 作ることや、書くことばかりに気持ちを向けてしまうと、何のために作っているのかがわからなくなってしまう時がある。誰かに言葉が届くときは、書き手の込めたメッセージを、読み手が受け取った時なのだから。 何のために書いているのか。どうして伝える仕事をして

編集者の必要性

取れ高のいいインタビューは気持ちがいい。話ははずみ、インタビュイーも楽しくなり、聞いているこっちもワクワクしてくる。 「いいインタビューだった!」と胸をときめかせ、「いい記事かくぞ!」と意気込み、文字起こしをしてハタと気が付く。切り口がいっぱいありすぎて、まとめ方がわからなくなっていることに。 昨日公開したサーティワン企画の記事が、まさにそれだ。インタビュー前にどんな話を聞きたいか、誰に向けて書きたいかは考えるものの、「これまでどう生きてきたの?」から聞いていくため聞きた

原稿と向き合う5月14日。

記事の構成がうまくいかなくて、noteを書くにも心ここにあらずだ。これはもういっそ、「うまくいかないよ!」と書いてしまわないと眠れないんじゃないかと不安になったので、心のうちをつらつらと書くことにする。 * 取材は楽しかった。山に入って土を掘ったり、自然にまつわる豆知識を聞けたり。たくさん笑ってたくさん聞いて「こんな面白いことを仕事で出来るなんて最高だ!」と思っていた。特に取材にいくといつもそうだ。店舗取材でお店の人の熱い思いを聞いていると、こちらも心が熱くなる。知れば知

仕事のギャップ

従業員約14万人の企業から30人のスタートアップに転職して2年。仕事をするうえで一番ギャップがあったのは「仕事の断り方」だ。 * 入社したての時、上司から言われた言葉は今でもよく思い出す。 「疑問があったり、わからないことはいつでも言ってこい。でも決まってしまったら、納得がいかなくても黙ってやるしかない」 転職前は、話したことも無い役員からの指示が、何階層にも続く幹部社員へと順々に降りてきて、末端の社員に届いていた。大きな案件になればなるほど私たち平社員に拒否権は無い

国によって違う、文章への向き合い方について

文化、お作法、相手が思ったこと、感じたこと、相手の事情を知らないで話すことに、迷いがある。 文章に迷った時、オフィスで「新しい文章力の教室」を読んでいたら、台湾国籍の同僚に「そういうの読むんだね」と話しかけられた。台湾では、文章力にまつわる本はどれも日本語からの翻訳で、台湾人はあまり気にしていないという。読むとしたら、キャッチコピー力や企画力をあげる本なのだそう。 そういえば以前タイ語の編集者とインドネシア語の翻訳者と話していた時も同じことを言っていた。恐らく日本は、「綺

休むのが怖い

「土日は休み」と決めた人は画期的なアイデアマンだ。 本腰入れて複業を始めて1年。気が付くと私の「休み」はどこかに消えていて、とうとう限界を感じ1か月ほど複業分を休もうと思った。去年は頑張れたのに、なんで今年は頑張れないんだろう。むなしさがこみ上げる。 お世話になっている人へメッセージを送ろうとslackを開く。頭の中で文章を考える。そして「お疲れ様です!」と打った時に、恐ろしいくらいの不安が襲ってきた。 私は本当に、休んでも良いのだろうか。 バリバリ働いている編集者の

熱量高い仕事でも、頭はクールに冷静に。

最近ようやく日の目を見た仕事について、アツく語った。 プロジェクトもすごく共感しているし、木こりさんから木や川などの自然にまつわる話が聞けるので、自分の興味関心ド真ん中なのである。 さらに、一緒にお仕事している方々も熱量があり、プロジェクトに対して前のめりにやっていきたくなる。幸せな仕事環境だと、一緒にご飯を食べた友人に向かってマシンガントークだ。頭も心も熱い。カッカしてる。 そんな気持ちをなだめるかのように、友人は1つ1つ聞いてきた。 「どうして森を整えるの?」

毎日書き続けて思い込みが減っていった

スッキリした部屋で、2018年の日記やらnoteやらを眺めながら過ごしている。朝にかけた乾燥機が止まるまで本棚の整理をしようと思ったのだけど、せっかく1年最後の日なのでこれまで書いたものを振り返ってみたくなったのだ。 * 本当に何も考えず、出来事と“楽しかった””悲しかった”くらいの感想を添えたものが日記。けれど時々グサリと刺さるような、その時の気持ちが響いてくるものもあった(それはたいてい回復に時間のかかる悩みだったものだ)。夏を楽しむことに必死になって、1年のうち冬と

生きてるうちは書いていようと思った

高校を卒業してから全く漫画を読まなくなってしまった。小学生の時は毎週ジャンプを読んでいたり、兄の本棚からスラムダンクや浦安鉄筋家族を借りたり、いとこからもらった50冊近い、マーガレットで連載された単行本を粛々と読破していたのに、最近はあまり読む機会がない。 ページをめくるのがハラハラするくらい興奮したのは、スラムダンク。はじめて漫画で泣いたのは、世紀末リーダー伝たけし!のとある金魚の話。そして、初めて声を出して吹き出した漫画が、さくらももこさんのコジコジだ。 コジコジをは

「不安」という名の言い訳

「こんなこと言って、もし場違いだったらどうしよう」「何もない毎日が、一生続いてしまったらどうしよう」「別の仕事も進捗悪いし、今の仕事をしながら気になってしまう」などなど…… 不安の原因はたいてい、未来を考えることから起こる。「常に私は将来を見ている」なんて言ってしまうとポジティブだけれど、今どうすることも出来ない事にもんもんとエネルギーを注ぐだけの、すごく効率の悪いことだ。 今のことには目をそらして、必死になって未来を考える。「今、ここ」と向き合えないのは何が原因なのだろ

居場所がない、と思う時

みんなが大勢集まる場で一人になってしまったり、大人数の飲み会の後、どっと疲れてしまったり、何人かでやりとりするLINEで、自分の発言の後に会話が続かなかったり。 周りが楽しそうにしている中、なかなか自分の気持ちが追いつかない時「あ、ここ自分がいるべきとこじゃなかったかも」と思ってしまうことはちょこちょこある。 どうして私は楽しめないのだろう。強制されている場でもないのに、無理して疲れているのってなんでなんだろう。頭の中で被害妄想を繰り広げていると「そもそも私は、楽しもうと

「せんせい、あのね」から気づく文章の基本

日記が1年以上続いた頃を考えると、小学校1,2年生にまでさかのぼってしまう。縦書きの学習帳に、見開き1ページの8割くらいで毎日日記を書き、先生に提出していた。 どうして飽きもせず、2年間毎日書けたのだろうなぁとふと不思議に思う。幼い記憶だから曖昧だけれど、「書くことが無い」で悩んだことは無かったように思う。小学生は毎日新鮮だから? 今日のnoteで書きたいことが見つからず、小学生の頃に脳内がタイムスリップし始めた時に、ふとある言葉を思い出した。 「せんせい、あのね」 だ

身体に染み付いた、経験が生み出すスキル

私と同じAB型の女の子については、何となくわかることが多い。「ちょっと独特だけれど、この子とは気が合うかも」と思うと大体AB型だ。実際のところ血液型なんて関係ないのはわかるのだけど、AB型の人と仲良くなる傾向があることも事実だ。 逆に、不安な時の予想は全然当たったことがない。家まで送ってもらった後、あの人が事故に巻き込まれてるんじゃないかとか、離れている親の安否が気になるとか、突然わけもなく不安に襲われるときがある。ありがたいことに、連絡を取ればちゃんと反応が返ってきて、私