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ピアノ教室
最初のピアノ教室は7年間通っていました。
大体YAMAHAみたいな大きなところか個人でやっているピアノ教室かに別れるんじゃないでしょうか。
私はご近所にピアノ教室があったので、そこへ通うことにしました。
この時です。音大へ入るためにはグランドピアノが必要ですか?とは母が先生に聞いていたらしいです。気が早すぎる!笑
そして聞いたはいいけど、グランドピアノありませんが?🙃(嘘です、母ごめん。)
なくても行けた!
教室で1番
通った7年間の間、私は教室の中でずっと1番の生徒でした。レベル違いだったらしいです。
他の教室との合同の発表会も下は小1から、上は中3くらいまで生徒がいる中、プログラムのいつもほぼ最後の方でした。
え!もうそんな曲弾けるの?とかか言われてましたが、同じ教室に通う友達のお母さん方も、自分の子供たちに本格的に音楽をやらせるつもりも無く、レベルの違いにもはや嫉妬とかの感情を抱くことも無かったそうです。
あの頃、それはそれは気持ちが良かったものです。
懐かしの赤バイエル
ピアノが得意だからといっても、勿論レッスンで使う教本はみんなと同じです。
赤バイエル(上)と黄バイエル(下)があり、赤バイエル、
通称"赤バイ"から入ります。それが終わると黄色の"きいバイ"に進み、そこから先は教室によって違うと思いますが、ソナチネ、ソナタ、、と進むのではないでしょうか。
苦手なもの
どれだけ曲が得意だからといっても、他の生徒より進みが早いといっても、苦手なものは沢山あります。
スケールが苦手なのと、あとは致命的に指番号が守れなかった人です( ´ㅁ` ;)
バイエルが終わると新しい教本3冊を購入し、その3冊を使ってレッスンが進んでいきました。
この時からピアノの先生になりたいという夢が強くなり、初めて先生に自分の口から伝えました。
初めての挫折
元々手が小さく、それでも今までオクターブ使う曲とか出てこなかったので、特にそこまで頭が回ってなかったのですが、やがてオクターブを使う曲がバンバン出てくるようになるわけです。
と、届かん!!
この時結構なショックだったのを覚えています。左手は何とかなっても、右手は届かせようと必死に伸ばすと余計な力が入りすぎて手首を痛めてしまいます。
夢をあきらめる
今思うと、なんで夢がピアニストじゃなくてピアノの先生だったのかは謎ですが、どっちにしてもオクターブ問題でだめだなと思った時点であっさりとピアノの先生という夢は諦めました。
あっさりすぎるだろ!!
と言われそうですが、あっさりというより正確には現実を考えての諦めです( ꒪ͧ-꒪ͧ)
小6の終わりがけのことでしたが、音楽の道、ピアノを辞めるという気持ちはさらさらなく、何か他の楽器はないかと探していました。
小6では校歌の伴奏、指揮
6年生になると、全校集会などでの校歌の伴奏をやる機会が回ってきました。
これは絶対やりたい!
それだけは思い続けてたので、密かに校歌の練習は5年生頃から家で練習していました。ラッキーなことにオクターブも左手しか無かったので♪
晴れて小学生最後の年は校歌の伴奏や、音楽が得意だからという理由で、運動会の時の国歌斉唱、校歌斉唱は全学年の前で指揮者もやらせて貰えました。
卒アルに残っていて恥ずかしいですけどね…
そんな感じで、夢は諦めつつも小学校6年間が無事終了しました🌸
次からいよいよサクソフォンとの出会いです🎷🎶
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