見出し画像

スペシャルな1日

昨日も、今日も過酷な勤務内容で
投稿出来ずじまいでした 泣

今回の内容は、14日の出来事です。

普段より学んでいる康仁塾の学びの一つに
zoomでの勉強会のチャンネルが3チャンネルも
あり、最近始まったビジネス業界、医療業界、教育業界などで活躍されている塾生の方たちが、
交代で講師となって色々と講義をしてくださる時間があります。

14日は医師2人の方が講師をされるということで
東京の医療事情などに興味があったので、
こっそりと参加していました。

質疑応答の時間となり、勇気を振り絞って
質問をさせていただいたところ、
「ぜひお声出しをお願いします。」
とナビゲーターの方に声をかけていただいたので、以下のように質問させていただきました。


抗がん剤治療を受けている患者さんにとって
治療を受けられているうちは病気と闘っている
ことに希望を持っておられるため、出現する副作用さえも受け入れ、上手に療養生活をされている。
しかし、いつかは効果が落ちて抗がん剤治療を
辞めざるを得ない時期がくる。
それは患者さんにとって、あまりにも突然の宣告となる場合がある。そう受け止める方が多いと感じる。
(主治医はタイミングを考え、何度も病状と今後の方向性など考えられる問題など説明はされていると思うが…)

治療室からの卒業を告げられた患者さんは

「見放された、もうここには来れない。」
「在宅医療に変わるから最後の挨拶に来た。」

など、思いを伝えに来てくださる方が多い。
その時にいつもどんな言葉を紡ぐのが少しでも心穏やかになっていただけることにつながるのか、長年看護師として勤務しているがこれで良かったのかと悩んでしまう。

『お2人は医師として普段よりどのような言葉かけをされて寄り添っておられるのかをお聞かせいただきたい。』

と意を決して質問させていただきました。

お2人は
小児在宅医、放射線科医として勤務されてきた
ご経験からそれぞれお話をしてくださり、

・本人がどうしたいのかと聞かせてもらう
・抗がん剤ができなくなっても生活の全てが
出来なくなることではないということ、
疼痛コントロールをすることで、今までできなかった旅行などが出来るようになった方もいらっしゃる。本人の思いに寄り添い、どうしたら実現可能なのか一緒に考えている。
・その人らしい過ごし方を叶える方法は他にもあるということをお伝えしている。

というようなアドバイスをいただきました。

『実は先日、痙攣発作で救急搬送された患者さんが
まさに数日前に最後の挨拶に来てくださった
方であった。
意識はなく、自発呼吸も不安定であり、付き添いの家族が取り乱している姿がとても辛かった。
なんでこんなことに…というやるせない思いが
最初に溢れた。

ターミナルケア専門の病院へ面談も済んでいて、在宅医療の準備はできていたが、
もし、最後の挨拶にきてくださった
あの時にご家族ともお話が出来ていたら
残された時間を大切に過ごしてもらうためのかかり方や家族看護としてのアプローチができていたら、こんなに取り乱すことはなかったのではないか…もっとなにか出来たのではないかと
無力感に苛まれた。』

他の塾生さんたちも質問待ちをしているというのに涙ながらに語ってしまいました。

その時でした。
塾長からのメールがチャットにあがったのです。

「どんな言葉を紡ぐかではなく、あなたのような
看護師さんのその在り方や姿で心が救われるのです。どうか不完全燃焼などと思わないでくださいね。」

この瞬間に涙腺は崩壊状態となったのは
言うまでもありません。

その後も塾生の皆様から次々と私への労いのメッセージが続き、ナビゲーターの方を始め画面に顔出ししている皆が涙を流していました。

なんともいえない癒し、慈愛の空間が参加されていた全員に広がっていたと思います。

この日は塾長のお誕生日だったのに
私まで素敵なプレゼントをいただいた
スペシャルな1日となりました。

思いの分かち合い
傾聴
笑顔と親切
抜苦与楽

これらの言葉は仕事に対して
常に大切にしているモットーであります。
勉強会は私にとってとても貴重な時間となり。
自分のモットーを、さらに大切にして
進まなければと
改めて強い決意が漲った日となりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?