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出雲崎町地域おこし協力隊になったきっかけ


様々なご縁がつながって、今、私は出雲崎町地域おこし協力隊として活動しています。
そのご縁をたどっていくと、きっかけは大学時代。


『ダブルホーム』での出会い

私が通っていた大学には『ダブルホーム』という活動がありました。
学生・教職員が学部の枠を超えて「ホーム」というチームを作り、それぞれのホームが特定の地域に通い、地域に合った活動をする、というもの。
私が大学受験を控えていた時、「学部での学びが社会でどのように必要とされているのかを身をもって学び、持ち帰ることでさらに学びを深める」というダブルホームに惹かれて、大学を決めました。
入学後、念願かなってダブルホーム活動に参加。山形県小国町で、「日本初の樽口観光わらび園に人を呼ぶために、大学生の視点からできることを」と4年間活動しました。わらび園の開園時に演奏会を行ったり、大学の文化祭でわらびを使ったうどんを販売したり、『ダブルホーム』に参加している学生向けに、わらびを採ってあく抜きして食べる「わらび会」を企画したり…。
あわせて、ダブルホーム全体の活動にも力を入れました。各ホームから集まった有志で組織される実行委員に所属し、年に1回行われる「ダブルホームシンポジウム」の企画・運営に始まり、新加入生募集の大説明会、オープンキャンパスでのダブルホーム情報館など全体行事の企画運営に関わりました。更には月1回のダブルホーム便りの作成や、PVの作成、文化祭でのスタンプカードの実施など。思い返せばいろいろやらせていただきました(笑)。

わらび
月1で出した たより
文化祭でのスタンプカード
あなたにとってダブルホームとは
インタビュー集

そんな中、一緒に実行委員をやっていた人が『にいがたイナカレッジ(通称イナカレッジ)』の1か月インターンに参加。ここで出会ったイナカレッジによって、出雲崎へと導かれます。

『にいがたイナカレッジ』での出会い

イナカレッジの正式名称は「中越防災安全推進機構」。もともと中越地震の復興をきっかけに立ち上がった団体です。復興のために若者が地域に入る中で、気が付いたら地域が元気になっていった。そんな出来事をきっかけに、現在では地域に1か月住み込むインターンや通い方プロジェクト、地域おこし協力隊のサポートなどを行っています。

そんなイナカレッジの1か月インターンに参加した人から話を聞いた私は、自分も参加したくてたまらなくなりました。インターンが行われるのは夏。次の夏、プロジェクトが公開されるのを心待ちにして、何度もホームページを確認していました。
そして6月ころ。ついにプロジェクトの公開が始まります。
それと同時に、インターンに参加した友人から「イナカレッジがツアーをやるけど参加しない?」というお誘いが。その舞台が出雲崎町だったのです。

初めて足を踏み入れた出雲崎町。
将来的に地域おこし協力隊の導入を考えているので、そのステップとして大学生のインターンを受け入れるということ。
縦に細長く密集して家が建つ妻入りの街並みを見て、海鮮丼を食べ、梅畑を見ました。

その後、私は関川村でのインターンに参加。
はじめましての3人で1ヶ月間共同生活を送りながら、「あの人にまちの今を伝える。地域の編集部プロジェクト」として、関川村に関わりのある人に村の”今”を届ける仕組みづくりに取り組みました。

“生きる”を感じる日々



そして、関川村でのインターン終了後、そのまま出雲崎町で行われていたインターンに顔を出しに行きました。
出雲崎町では海岸と山側の2カ所でインターンが行われていました。
どちらでも、一緒に町を歩いたりして、この夏は終わりました。

年が明けた3月。
この夏、イナカレッジのプロジェクトに関わった人が集まる報告会がありました。
そこで、また次につながる出会いが生まれます。

Summer Memory in IZUMOZAKI

イナカレッジの報告会で出会った(再会した)のは出雲崎の海岸で行われていたインターンにお邪魔したときに出会った一人の女性。
当時、動画編集などに興味があった私がその話をすると、「出雲崎の動画を作りたいから、一緒にやらない?」という話が。
そこから何度かお会いして計画をし、インターンを行った次の夏に撮影・編集を行って、動画を作ることになっていました。

子供のころから見ていた景色は何も変わらない。
でも、自分はここで大人になった。
海も、海岸線の流れる景色も、港も、路地も、祭りも、思い出になった。
そして、いつしか自分に守るものができた。
思い出になった景色に、新しい色や風、波の音が重なった。
目を閉じたら、瞼の裏にこの景色が、海の匂いが、波の音が。
この想いと共に、あなたにも感じられますように。

そんな想いで町内の子供たちもダンスで参加し、「打上花火」の曲に合わせて動画を作りました。
初めて、人からの依頼で作った動画。求められるものを再現するのにとっても苦労した。
でも、いざ出来上がってみるといいものになったと、自分で思いました。

そして、その撮影のために出雲崎に通った夏。
海で泳いで、釣りをして、夕食にサザエがあって(しかもその殻は海に戻すという)、祭りで船が出て、海沿いで花火が上がって。
「ぼくの夏休み」や映画・ドラマにあるような夏がそこにはありました。
「こんな夏、本当に存在するんだ」と感じました。

そこで初めて、「やりたい」で動画を作ろうとしちゃう人がいる出雲崎、面白いかも…と思い始めたのです。


出雲崎町地域おこし協力隊

大学卒業後、地元に戻り町役場で働き始めます。
「想いをかたちにする手助けを、行政の立場から」と決めた職。
しかし、働く中で役場がやらないと持続しないお祭りやイベントなどの実態や、役場と住民の意思疎通がとれていない様子を目の当たりにし、住民と行政をつなぐ役割が必要なのではないか、と考えるようになりました。

そんな時、出雲崎町では地域おこし協力隊の導入が始まっていました。
しかも、イナカレッジがサポート団体として入っている。
大学生のころ、夏のインターンをみてわくわくしていた気持ちがよみがえりました。
タイミングが合えば、出雲崎での地域おこし協力隊、ありかもしれない。
そんな思いが沸き上がります。

令和5年。
新たに出雲崎町地域おこし協力隊の募集があると、情報をもらいました。
しかもその内容がクリーンヒット。
応募を決め、役場を退職し、出雲崎町へ移りました。
これが令和5年4月のこと。

(その間には、結婚・妊娠があり、内定後に出産してから任用…と、プライベートでもいろいろもありました)

そして今。
私は出雲崎町地域おこし協力隊として働いています。
目指すのは「まちのよろず屋になる!」

行政と住民が互いに自立しながら、連携しあう仕組みづくりを目指します。
それが、出雲崎町の持続・元気につながればいいなと。


さまざまなご縁がつながった今。
これから出会うご縁も、きっとこれからにつながると信じて、活動していきたいです。

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