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人生の選択肢について

私は、小さい頃から大袈裟だとよく言われていた。
周りからしたら小さなことでも、ものすごく大きく言うと。

でも、私からしたら、周りから小さなことと言われても
自分にとってはとても大きなことだった。
嘘をついて大きく騒いだりしていないのだ

大人になって気づいたのは、私はすごく敏感なのかもしれないということ

周りの声を気にしすぎてしまう。だからどんどん自分に自信を持てなくなる
自分なんてと思ってしまう

それはずっと悪いことだって思っていた
だって物事を大きく大袈裟に捉えて一喜一憂することは
周りに迷惑をかけることだとずっと思ってきたから

だからこそ、どんどん自分に自信がなくて
居場所が見つからない気がした
どこか窮屈に生きていた

でも、そんな私にも生きる道が見つかった

その道は、私を輝かせてくれた

そのままの気にしすぎな繊細な私でもいいんだって
思わせてくれた。

なんなら、繊細で良かったとさえも。

そんな繊細すぎる自分に自信が持てるようになったのは
本当につい最近のこと。

それは漫画を描くということに出会ったから

漫画は繊細だから描けるんだと教えて貰ったから

周りの人からしたら小さなことでも
私には大きく見える理由。

それは、周りの人が物事を正面からのみ受け止めている情報を
私は、その物事を正面だけでなく、後ろや横
なんなら上から斜めから様々な角度で捉えてみる

小さい頃からそんな癖があった。

だからこそ、周りからしたら小さなことでも
私は様々な角度から見るからこそ
情報量が多くなって大きく見えるのかもって

あくまでも、私の勝手な持論ですが…

でも、だからこそ
些細な感情もさまざまな角度から捉えて
小さな小さな出来事も、私は大きく捉えるからこそ
しっかり感情に残せる

そしてその感情をそのまま漫画にしていくことで
様々な人が見てくれるようになった
共感してくれた

私の心を救っていってくれた

繊細で敏感は大袈裟でいけないこと
短所だとずっと思ってきた私は

漫画を描くことで
それが長所になるんだって
私の漫画を読んでくださる皆様から教えて貰えた
37歳にして、私は自分にもいいところがあるかもって思えた

けれど、それに気づくことができたのは
こんな私を受け入れてくれた場所があったから

長男もどちらかというと敏感で、新しい環境が苦手で
なかなか馴染むまで時間がかかった。

幼稚園の4年間、泣かずに登園できたのは年長さんになってから
そんな長男は、小学校に上がってもなかなか馴染めずにいた

でも、一生懸命馴染もうとしていた
頑張ろうとしていた

毎日、毎日「頑張る」って言いながら登校していた

けれど、そんな一年生のある日

玄関で突然泣き出した長男。

理由を聞いても答えてくれなかった
でもその背中は毎日頑張ってきて疲れ切って見えた

だから、その日は学校をお休みさせた

過保護な親なのかもしれない。でも、そのお休みは
長男にとって必要なんだって思ったからいいんです。

その日はお休みして、2人で好きなアイスを食べて
長男の好きなことを一緒にした

夕方にはすっかりいつもの長男に戻り


そう私に伝えてくれた。

長男は習い事に毎日行っていた。(同じ習い事)
その習い事も、なかなかしんどいものだったけど

好きだから頑張りたいと毎日続けていたものだった

だからこそ、私は1日くらい全てのことをお休みしてもいいと
思っていた。

でも、それでも行きたいと言った長男を偉いなとさえ思った。


後日、初めての先生との面談を行った時のこと

担任の先生から



突然、そう聞かれた

私は、なぜそれを知っているのかに驚きつつも
その真意はわからなかったので

素直に「はい、その通りです」と答えた

そして

正直に私の今の思いを伝えると…
先生の返答は私の思いもよらないものでした


全ては学校を主体に動いて下さい。

学校とはそういうものなんです。

だから、学校を休んだら何もできないと
子供に教えて下さい。

習い事だけでも行って偉いなんてことはないんです。


私は、ただただ愕然としました。

学校が全て。

じゃあ、その学校がもし合わなかったら?
しんどくなってしまったら?

その子はどこに居場所を見つけたらいいの?

私は、むしろ学校を休んでも
習い事だけでも行って偉いとさえ言ってもらえると
思っているような母親です

そんなこと、口が裂けても子供には言えない

だから、先生に正直にこう伝えました


逃げ場より、何よりまずは学校生活ありきなんです。
学校を中心に子供の生活は成り立つんです。

そう、真っ直ぐ先生に言われた私は
何も言えませんでした

私は子供の頃、学校に行くことがつらくて
悩んでいた時期があったから

その時、このまま学校に行けなくなったら
私はどうしたらいいんだろう
居場所がなくなるとすごく怖くなったし

学校に合わせられない自分はいけないんだと思っていたから

学校に行くのが普通
じゃあ、私は学校に行けなくなってしまったら「普通」の枠から
外れてしまうのかと悩んで無理に行っていた時期があった

でも、今の私は思う

そもそも、普通ってなんなんだ?
学校に行ける子が普通

選択肢はこれのみ?

選択肢が少なすぎるのではないかな?って
普通って枠しかないと信じてきてしまった私は

ずっと自分のことが嫌いだった
みんなと同じに表上はなんとかしても

気持ちがついていけなかった
それは自分がダメだからと思ってきた

でも、やっとやっとそんな自分の短所だと思って
悩んできたことが、実は長所で

その悩んできた部分のおかげで私は今夢が叶った

そんな経験をしたからこそ、学校に
もっと沢山の選択肢があったらなんて漠然と思う

でも、どうしたらいいかなんてすぐに解決策は言えない

ただ、子供たちは沢山の可能性で溢れている

その可能性を一つでも多くのばしていきたい

出るはずの芽を大人の都合でむしってはいけない

様々な可能性を「普通」という枠に当てはめたら
みんな同じ形になっちゃいそうで

だから、このじんこさんの本を読ませて
頂いて私の中の答えが出た気がした


私は、もっと人生の選択肢を増やせるよな
社会に憧れているんだと

今すぐ、何かができる訳でないかもしれない
明確な答えは出ていない

でも、私はこんな私でも居場所があった
そのことは伝えていきたい

そしてやっぱり私は
学校が全てだとは思えない。

この本読ませていただいて、猛烈に心が揺さぶられて
この記事を書きたくなった。

だから忘れないうちに書きました



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