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読書記録③『奇跡集』小野寺史宜著

今回も短編集を選んだ。図書館で、いつも通り優柔不断に迷いに迷って、なかなか決められず館内をぐるぐる巡って。できれば自分が普段読まないような、これから先自分が書く物語とかぶりそうもないものがいいと思いながら本を物色していた。最終的に選んだのがこの本、小野寺史宜著『奇跡集』。失礼なことに三回くらいお名前の読みを「何て読むんだっけ」と忘れている。「ふみのり」さんだった。

ハードカバーのこの本の見た目はとてもカラフルだ。赤、青、黄、の三原色が広い面積に使われており、抽象画っぽくはあるけれど電車の吊り革や本、スカイツリーなど、この短編集の物語にまつわるモチーフが見て取れる。読み終わった後にそのモチーフが、物語の何話目に登場したのか答え合わせするのも面白い。



予想していたけれどこの短編集は連作になっていた。同じ電車の車両に乗り合わせた七人が、それぞれの回で主人公になる形式だ。そして一人一人に立派なフルネームが与えられており『青戸条哉の奇跡 龍を放つ』のように各話ごとにタイトルに名前が含まれている。前回読書記録で取り上げた村上春樹著『一人称単数』の短編集には、登場人物たちの名前が記載されていなかったので対照的だ。パラッとページを捲って目次を見た時にそんなことを思ったのも、この本を選んだ要因の一つかもしれない。



学生、元劇団員、警察官、会社員、無職……と立場も性別も年齢もバラエティーに富んだ主人公達。彼らの内側にはどんな想いがあり、これまでどんな人生を送ってきたのか、今現在どんな状況下に置かれているのか。そんなこと普通は見た目からだけじゃわからない。
普段ヘラヘラして何の悩みもなさそうな人が、一本の映画を作れてしまうほどの波瀾万丈な人生を送っているかもしれない。人望が厚い人の裏の顔は、配偶者にモラハラをする冷酷人間かもしれない。こんなふうに公共の場で居合わせただけの人たちにも、もちろんそれぞれに人生がある。それは一人一人みんなに物語があるということだ。

自分の人生なんて十人並みの平々凡々とした退屈なものだ。本人にはそう思えても、誰一人生まれてから今日までの人生が同じ人なんて存在しない。過去に改めて思いを馳せてみたら、あれは人生の転機だったとか、案外修羅場だったなとか、よく頑張ってたな自分、なんて思えることだってきっとある。
この本を読みながらそんなことを考え、世界は本当に物語に溢れているなぁとしみじみ思った。人が人と関わることによって化学反応が起こる。そしてそこから生じた感情や打算、制限や自由、役割が行動の原動力となり、その後の展開が創られていく。どの人もみんな自分の人生物語の主人公で、出会う人関わる人たちはその人にとっての脇役、エキストラだ。



人は基本的に自分のことで頭がいっぱいで、他人への関心は薄い。すれ違うだけの人なんて背景と同じような存在かもしれない。でもその場に居合わせるだけで、少し関わるだけで、一言二言言葉を交わすだけで、波紋が広がるようにその人の生き方に影響を与えてしまうことだってある。


現にこの物語の第四話で電車内で痴漢騒ぎが起こった時、この回のヒロイン道香のとった行動は明らかに一人の男性のその後の運命を変えた。混雑した空間での痴漢問題は、扱いが本当に難しいと思う。痴漢された女性が泣き寝入りすることは、もちろんあってはいけないことだ。でもはっきりとした確証もなく周辺の男性を加害者だと訴えて、もし間違いだったら? 痴漢冤罪はむごい。家族も友人も仕事もお金も失うことになるかもしれない。だから目撃者は責任重大だし慎重にならざるを得ない。意図して見たものでないものを「絶対に見た」と確信できる人がどれだけいるか。さらに他人事と見過ごさず、声を上げられる人は限られるはずだ。
小説はこんなふうに、時折読み手に課題提起をしてくる。それは変化の少ないサイクルの中を生きているだけでは得難い想像力を刺激してくれる。



短編集の中でも特に興味深かったのは、第五話の会社員男性の話だ。食品会社の広報宣伝部に所属する彼の頭の中は、クリエイティブにまつわるエピソードがたくさん散りばめられていて面白かった。カップ麺の宣伝にYouTuberを起用するのは今時らしい。それによる失敗談も、さもありなんと頷けるエピソードだった。新しい宣伝案は電車の中で獲得し、さらにアイデアを足して構想を練っていく。
閃きはただ待っているだけじゃ訪れない。常にアンテナを貼り、思い込みや決めつけを外し、柔軟な思考で物事をあらゆる角度から見てみる。取るに足らないもの、がらくたと思い込んでいるものが、案外素敵なアイデアの原石だったりする。そんなことを教えてくれる回だった。



この本の出だしを読んで最初に気づいたのは、この作者の一文がとても短いということだった。たとえば下記の一話の冒頭はこうだ。

暴れ竜がいる。どこにって、腹に。
ヤバい。相当ヤバい。ぼく史上最悪レベル。過去最強の竜だ。

『奇跡集』 小野寺史宜著 

中表紙にトイレットペーパーのイラストがあしらわれていたことと、この短い文で主人公が置かれている状況はお察しだ。
潔い文だなと思った。慣れるまで多少の違和感はあったけれど、やはりわかりやすい。気を抜くとケムに巻くような長ったらしい文章を書いてしまう私には、見習いたいリズム感だとも思った。絵柄に絵師さんのクセが出るように、文章にも著者らしさが出る。文字数が少なければごまかせるかもしれないけれど、長文にはどうしたって滲み出てしまう。今更だけど、やはり文章力は一朝一夕では身につけられないものだと実感。だからこそnoteも書きがいがある。



最近ポツポツと「スキ」をいただく。イラストのSNSをしている時はいいね0がデフォルトだったので、素直に嬉しい。しかもイラストと違い、こんなに長い文章に目を通してもらえたということだ。読んでいただけるだけでもすごくありがたい。
人の評価を気にしていたら気分の浮き沈みにやられそうで、あまり考えないようにしていた。でも「読んでもらいたい」「読んでよかったと思ってもらいたい」という気持ちはあっていいものだと思う。
そんなわけで、これからもコツコツと本を読み、日々、文章力を磨いていきたい。

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