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読書記録⑪『食っちゃ寝て書いて』小野寺史宜著

タイトルを見た時、ふっと笑ってしまった。この力の抜けた感じが気に入って、パラパラとページをめくってみた。タイトルの一部、“書いて”から予想した通り、どうやら主人公の職業は作家らしい。作家の生活、考え方、原稿の書き方には興味がある。ということで、じっくり読んでみることにした。


出だしから読みやすかった。一文一文が短く、余計な情報が削ぎ落とされた文章。そして登場人物たちが“横尾成吾せいご”“井草菜種なたね”のように、律儀にもフルネーム。ちょっと変わった名前の人も出てくる。十ページほど読んだところで「あれ?」と思った。さらに数ページ進んで『脇家族』という作中の架空の本のタイトルを目にした時、ようやく、「あ、知ってる!」と気づいた。もしかしたら、もっと早い段階でヒントが出ていたかもしれない。この著者の他の作品を、私は読んだことがあった。しかも読書記録までnoteに書いていた。大ボケなことに読んでから気づいた。



今回読んだ『食っちゃ寝て書いて』の方が先に刊行されたようだ。上の『奇跡集』の何話目かの短編で、たぶん作家横尾成吾の作品『脇家族』に関することが書かれていたのだと思う。
こんなふうに過去作の登場人物やキーワードが、新たな作品にも顔を出すのはなんだか嬉しい。著者の作品愛と遊び心を感じる。


さて今作の概要をざっと説明すると、主人公は二人、小説家の横尾成吾と編集者の井草菜種。ちなみに菜種は三十歳になる男性で、横尾の担当編集者だ。この二人の視点を交互に、物語は展開していく。
事の発端は、横尾の書き下ろし原稿がボツになるところから。横尾は五十代で派手さはないものの、作品が映画化されたこともあるベテラン作家だ。何度かダメ出しをされ、修正に応じた挙句のボツ。その時の担当編集者は四十代の女性で、部署を移動することもあり、菜種に横尾の担当を引き継ぐことになった。
横尾は菜種という人物に興味を持ち、次回作の主人公のモデルになってほしいと頼む。菜種は承諾し、その作品は二月に刊行されることに。そうして原稿がボツになった三月から、二月の新作刊行までの作家と編集者のそれぞれの日常が淡々とつづられていくのである。


私は特に作家、横尾の視点が好きだった。というより共感できる部分が多かった。独身で一人暮らしの横尾の生活は、質素で規則正しい。たまに人に会うこともあるが、本当に深い話をするのは大学時代からの友人、弓子ゆみこくらい。弓子とは数ヶ月に一度飲みに行き、仕事の話や近況を報告し合う。
あとは編集者の菜種との打ち合わせ。それ以外は一人でマイペースに日常を過ごす。習慣のストレッチや腹筋、腕立て伏せ。買物を兼ねた一時間の散歩。このへんはストイックだと思うが、長くものを書いていくなら、最低限体力づくりは欠かせないとうなずける。昔どこかで「クリエイティブは体育会系」というキャッチフレーズを目にしたことがあるけれど、noteの皆さんになら共感していただけると思う。


そしてコーヒーを飲みながら執筆。午前中に五時間、午後に二時間。昼寝や食事時間もきっちりとって。食事内容も大体一緒で、納豆やキムチ、豆腐と、とてもヘルシーだ。
一昔前の作家といえば、お酒にギャンブル、異性関係にと、だらしない破天荒タイプがイメージされることも多かったように思う。そのために精神が不安定だったのか、そもそも書くという行為を続けるために、外で発散した結果が日常生活の破綻だったのかはわからない。
けれどやはり、何事も長く継続していくためには、まず心身を健康に保つ習慣づくりが大切なのだと思った。


これといった事件が起こることもない、独身作家の日常。二十年愛用していた電子レンジが壊れ、五千円という安さで新しいレンジを手に入れたこと。それを送料を節約するために、二十分かけて歩いて持ち帰り、筋肉痛になったこと。いや、そこはネットで買おうよ、配達してもらおうよ、とツッコミたくなった。でもデジタルやネットに疎い私は、このアナログさ、不器用さにちょっと親近感も湧いてしまった。
小学生におもちゃの銃で撃たれたこと。気のせいかもしれないが、若者二人から親父狩りに遭いそうになったこと。それらのエピソードを小説に使えないか、と考えたり。駅で機械の誤作動があり、改札でクレームを入れている男性を見て、あんなふうにならないようにしようと自分を戒めたり。
日常にドラマチックなことなんてそうそう起きない。でもほんの少し特別なことなら、身近にたくさん見つけられる。道端に転がっているちっぽけな石ころを、宝物みたいにお菓子の缶に集める子供。そんな在り方が、作家のあるべき姿なのかもしれない。


その中で、読んでいて思わず目を見開いてしまったエピソードがある。横尾の居住区が“停電”してしまった場面だ。
私事だがその箇所を読んだ同日、視聴していたyoutube番組のユーチューバーさんが、収録していたホテルの一室で「今、停電しました」という声を耳にしていた。そして数日前に私はnoteに『停電』というタイトルのショートショートの過去作を投稿している。
だから何?と言われればそれまでだけど、こういう偶然が私にはわりとある。



で、これがいい方向に働いてくれればいいのだけれど、ネガティブな私は「台所にGが現れたら‥‥」とか嫌な想像をしそうになる。嫌だ、三度もGに遭遇したら気絶してしまう!
どうしたものかと真剣に悩み、最近とっておきのおまじないを見つけた。それは「肉球」と三度唱えること。もう頭の中は、あのピンク色のぷにっとした柔らかい感触でいっぱいになる。これで悪いイメージはあの至福のイメージで上書きされるはず。
ただ今のところ“29”という数字にちょっと縁があったくらいで、本物の肉球にはお目にかかれていないのが残念だ。


話を読書記録に戻そう。作家横尾が、本書の中で掲げた自分ルールのようなものがシンプルでいいと思ったので、少し省略して引用しておきたい。

・無駄に想像しない →   先のことをあれこれ想像してくよくよするな
・無駄に休まない →   ダラダラするな
・無駄に求めない →   高望みするな 他人に期待するな
・無駄に守らない →   守りに入るな

『食っちゃ寝て書いて』小野寺史宜著


こういう生き方の軸のようなものがある人は、きっと強い。見習いたい。


ここからはもう一人の主役、井草菜種について書いてみる。菜種の実家はクリニックを経営していて、妹の梓菜あずなは二年の研修医を経て現在は専攻医。菜種も医学部を受験したが全滅。文学部に進み、ひょんなきっかけからボクシングを始めた。出だしはまずまず。でも一つ年下のジム仲間とスパーリングをして大敗し、プロテストを受けるも不合格。出版社に就職してからはボクシングから離れた。今もボクシング時代に身につけた、走る習慣は継続している。


菜種は人当たりが良く、執着心やギラギラしたところのない、爽やか青年といった印象だ。同棲していた彼女に“向上心がない”ようなことを言われて振られた時も、強く反発したり引き止めることもなく別れを承諾。会社でも人間関係でカドが立たないように上手く立ち回れる人間だ。
そんな性格を“流されやすい”だとか“頼りない”ととることもできるかもしれない。けれど言動の端々に、静かだけれど強い意志を感じるし、好感も持てる。


編集者は作家の作品をより良くしたいからこそ、敢えて批判的な目で見て修正箇所を見つけなければならない。誤字脱字、辻褄の合わない箇所の指摘くらいだったら、作家だって見直してくれることにありがたさを感じるはずだ。けれど設定を大きく覆してしまうほどの大幅な改変依頼は、作家の心をえぐるし「書く苦労も知らないで」と作家が腹を立ててもおかしくない。
編集者側だって作品を手放しで褒めたいはずだ。でもそこは心を鬼にして、その場の空気を凍らせることになっても、指摘しなければいけない。
ましてや横尾は菜種より二十歳近く年上のベテラン作家だ。言いづらいことこの上ない。けれど菜種は横尾のあげてきた第一稿に、容赦なく自分の言いたいことを全部伝え、修正依頼をする。ぼかした言い回しもせず、はっきりと言い切る。その静かな情熱は、横尾に伝わった。この二人のちょっと緊迫感のあるやりとりの場面が、誠実ですごくよかった。


また、菜種が普段から心がけていることもいい。過去に菜種が、電車で高齢女性に席を譲ろうとした時、次の駅で降りるからと断られたことがあった。こういう時ってちょっと恥ずかしい思いをする。菜種も「これがあるから譲りづらいんだよなぁ」と思っている。でも、恥ずかしいから譲らないのは違う、とも思い直す。そして人が物を落とした時は拾って声をかける、お年寄りに席は譲る、と決めている。
人の親切心からの行動って、頭であれこれ考える前に条件反射で出てくるくらいがちょうどいい。人からどう思われるかとか、偽善者と思われたくない、恥をかきたくないとか、ごちゃごちゃ考える前にさっと身体に従ってしまうのだ。これって結構大事な心構えだと思った。


長くなってしまったので、このあたりでそろそろ切り上げたい。
最後に、この本にはラストでちょっとした仕掛けがしてある。騙し絵みたいに、少しだけ読者の頭に混乱を招くような、著者のサービス精神のこもった仕掛けが。興味を持った人がいたら、ぜひ読んでみてほしい。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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