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【創作】入り江と月

小さい頃、姉と私はよくあの場所の夢を見た。
夢は示し合わせたように、二人して同じ晩に見た。あの場所は生ぬるく、安らかな水で満ちていて、薄桃色の柔らかな壁で囲まれた入り江のようなところだった。私たちはその入り江で、自由に気持ちよく泳ぎ回った。そこでは姉も私も、人間とはかけ離れた透明な稚魚で、しかしなぜかお互いをちゃんと唯一無二の姉妹なのだとわかっていた。
頭上の水面にはいつも、月明かりを思わせる優しい光のカケラがきらきらと揺れている。そして多彩な音が、子守唄のように絶え間なく響き渡った。それは、さざ波や鳥のさえずり、枯れ葉が地面をかする音などを連想させた。そこは外界から守られた、とても優しい空間だった。
その夢から覚めた朝は、隣の姉と顔を見合わせて互いににっこりと微笑んだ。
ーー見た?
ーーうん、気持ちよかったね。
幼かった姉と私は、よく瞳で会話をした。


二人は四六時中手をつなぎ合い、ぴたりと身体をくっつけては、ままごとや積み木遊びに興じた。どちらかが熱を出せば、もう一方も必ず熱を出した。
母が近所の公園に私たちを連れ出しても、他の子供たちと混ざって遊ぼうとはしなかった。滑り台やブランコには目もくれず、私たちは砂場に腰を据え、持参したプラスチックのシャベルで黙々と穴を掘る。サッカーボールがすっぽりと埋まるほどの大きさにまで穴を深めると、今度は小さなバケツで何杯分もの水を運び、そこを満たした。姉妹の全身お揃いの衣服や靴は、たちまち真っ黒になった。
「あーあ、二人ともまた泥だらけ。で、何を作ったの?」
呆れて訊く母に、
「おうちだよ」
「お魚さんの」
と、私たちはくつくつと笑って、得意げに答えた。


幼稚園に入ると、姉と私は別々の組に分けられた。最初は離ればなれにされることにぐずったり、だんまりを決め込んだりして抵抗していた二人だったが、しだいに慣れていった。相変わらず姉妹は仲が良く、例の夢も共有していた。
あれは小学校に上がって、七歳の誕生日を迎える前だったと思う。真夜中に姉と私はほぼ同時に、荒い息をして汗ばんだ身体を起こした。二人は鏡のような相手の顔をしばらくじっと見つめると、互いに起こった出来事を理解した。
夢の中で自由に泳ぎ回っていた二匹の稚魚に、手足が生えてきたのだ。その上、急に呼吸がうまくできなくなって、溺れそうになった。あんなにのびのびと気持ちよく泳いでいたのに。私たちはその晩、両親に挟まれた寝床をそっと抜け出して、台所へ向かった。二人とも喉が渇ききっていた。姉がコップに並々とついでくれた水を、私はごきゅ、ごきゅ、と喉を鳴らして一気に飲み干した。その後、姉も同じコップに水を入れ、やはり一息に空けた。それから私たちは、ようやく安堵して寝床に帰り、手をつないで再び眠った。
翌朝、私だけが布団の上に粗相をしていた。


あれからあの夢を見るのは、なぜか私だけになった。もしかしたら姉も見続けてはいて、でも記憶には残らなくなったのかもしれない。手足の生えてしまった二匹は、前ほど自在には泳げず、呼吸をするにも時折水面に顔を出さなければならなかった。それでも頭上の薄明かりは変わらずそこにあり、二匹に心地よい音を浴びせ続けていた。


小学校の高学年になる頃には、姉妹の性格は正反対になっていた。
快活で行動的な姉は、外で複数の友達と走り回ることを好み、内向的で静かな時間を好む私は、家で一人、本を読んで過ごすことを望んだ。自然、二人の間には距離ができた。そしてある時、とうとうあの夢にも大きな変化がもたらされた。
「私、先に行くね」
二人の入り江で静かにそう告げた姉は、いつの間にかすっかり人間の姿形をしていた。私は驚き、狼狽した。
行くってどこへ?出口なんてないでしょう。それにここほど安全な場所なんてどこにもないじゃない。引き止める私に、姉はちょっぴり悲しそうな笑みを向け、それから頭上の、あの一点の光を指差す。
「大丈夫、あなただってもう準備はできてる。出口も入口も、常にあそこにあったのよ」
穏やかな、励ますような姉の声だけが耳に残った。
目が覚めた時、私は泣いていた。気だるく、下腹部に鈍い痛みを感じた。めくり上げた布団には、じんわりと赤がにじんでいた。
その日私は、双子の姉から三ヶ月遅れの初潮を迎えたのだった。


〈了〉


過去作です。どこかに応募したものだと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。


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