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母親として、の概念に追い込まれるママ達

Twitter上でふと、思いがけないツイートを目にした。

息子よごめん。本当に情けない母です。子供がわんさかいる公園にもう連れて行く気力が無いんです。


ふと、長男が幼稚園に入園する前の公園遊び時代を思い出した。多くの子どもが集まる場所。お母さんも集まる場所。

私は、ママ友集団が苦手だった。何故だか分からない。HSPの気質から、気を遣い過ぎるからかもしれない。また、長男はどちらかと言うと活発でどんどん前に行くタイプだったので、まだ言葉が発達していない年齢の頃など、謝るシーンが多かったから、人が多い公園は、とても疲れた。


息子のためには、家にこもっているより、公園に出掛けた方がいい。特に長男はお昼寝もしない子どもだった。けれど、その中で受けるストレスは大きく、時には、「どうしてあんなことしたの!?」と家に帰った途端に怒りをぶちまけたことさえある。今でも私はそのシーンをよく覚えている。自分の中での汚点として・・・。

その後、気の合うママ友と出逢い、公園遊びの後、お互いの家を行き来して、お昼ご飯を一緒に食べ、屋内遊びをしていた頃は、とても心強く楽しかった。そんな友達に出会えなければ、公園遊びはとても辛いままだったと思う。もう20年以上も前の話だ。でも先程のツイートを見て、生々しく思い出した。

子どもの為に、母親としてこうあるべきだ。こうした方がいい。それは決して自分のためではなかったとしても。ストレスのかかる事であったとしても。そんな風に葛藤しながら過ごしているお母さんは、今の時代でも居るのだろう。

子育て支援の大切さ、必要性は、そんなところからも生まれて来る。

二人の息子の子育てを終えた今、私に出来ること。私がしたい仕事はなんなのか・・・改めて考えるきっかけになった。

そして、このツイート主のお母さんは、決して情けなくなんてない。一生懸命に母親をされて来たからこその言葉だと思う。


時代を超えても変わらないものがある。それは人と人との繋がり。避けては通れない、そして本当は尊いもののはず。

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