見出し画像

自分で自分が分からないかもしれない〜男性脳と女性脳に翻弄される私

男性脳と女性脳とでは、生物学的に見て大きく構造が違う。

昔、私が手にした本で大いに影響を受け納得した本があり、それを思い出し引っ張り出して来た。

黒川伊保子さんの著書「行為を紡ぐ男性脳、言葉を紡ぐ女性脳〜LOVE brain」である。ここにその生物学的に見る男性脳と女性脳についての違いが細かく書かれ、その観点から、双方の気持ちのズレ、感情のズレ、理解し合えない部分についての捉え方について、明確に書かれてあった。当時30代だった私には妙に腑に落ちたと言うか、納得したものだった。

男女の分かり合えない部分について当時私は、色々と考え悩んでいた時期があった。夫婦関係の危機についての問題に直面した時である。夫を理解しようと当時必死だった私がそこに居た。

今は、とうにその夫は元夫となり、亡き人となっているが、その後も様々な人と巡り合ってお付き合いもした。私はその後、再婚をし、また離婚を経験した。いわゆるバツ2である。今でもそのような表現はするのだろうか。自らカミングアウトして向き合っている。それぞれの結婚生活は7年間で終わったもののいつも一生懸命だった。そんな人生に疲れは感じたものの、もうとっくに昔のことだ。

シングルになってもう10年を過ぎている。息子達は2人とも成人し、これから先私はひとり暮らしとなる。人生50年生き抜いた。さて、これからどうするのだろう。


🌱🌱🌱


時代の流れと共に、男とか女の定義や、夫婦関係についてもかなり世の中の価値観は変わって来ている。長男の結婚が数年先に見え始めたことによって、息子から聞く結婚観もまた、昭和生まれの私の価値観とは大きく異なる。何が正しいとかいいとか悪いではなく、時代の流れなのだ。扶養家族、と言う概念も減って行くのかもしれない。妻は妻で経済的に自立し、養ってもらうと言う概念も消えゆくのかもしれない。家計を別にしたり、夫婦別姓が認められたり、時代は足早に変わって行く。

今の時代に産まれたならば、私の人生もまた変わっていただろうか。人生を通して経済的に自立する女性像に私は憧れも持っている反面、扶養家族となって内助の功で旦那様を支えたい願望も未だに持っている。どちらが自分に合っているのかは、きっと、想像よりも柔軟性のあるもので、環境に適応して脳の使い方も変わって行くのだろう。

要するに今の私は、男性脳と女性脳が半分半分な気がしている。完全なる女性脳で生きられたらその方が幸せなのか?と言えばそれも違う。今となっては、夫に頼り切って、経験上、いつ何時夫が居なくなるか分からない中で、怖くて立ってられない気がするのだ。

自分で自立して1人の時間を楽しめるようになった時、私は一番満たされた気持ちになった。その時は一瞬だったけれど、1人が楽しめるようになった今は無敵だな、と思ったのも真実だ。これ以上の幸せがあるだろうかとも思った。

でも今は、1人で生きることに不安が出始めている。それは大切な人が現れたからかもしれない。新型コロナの問題や、大きな地震、そして自分の体力の衰えなども関係するのかもしれない。

大切な人が増えることはとても幸せなことだけど、大切な人を失う機会も増えるという側面もある。今まで経験して来た人との別れ。生き別れと死に別れ。どちらも過酷なものだった。もうこれ以上味わいたくない経験だ。だから不安なのだ。

つまり、今の私は、自分で自分が分からないのかもしれない。題名の通りに・・・。女性脳だけで生きられないことが分かった時、男性脳が発達して自立出来た。けれど私はまた女性脳が強くなり、弱くなってしまうのだろうか?いや、違う。女性脳は決して弱くないはずだ。でも強いのは、母性本能が発揮する時だけのような気がする。子育てが終わり、生物学的に言う母性本能は衰える一方なのか・・・。


私は一体何者なんだろう・・・。

読んで下さってありがとうございます! 励みになります。