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45歳を過ぎて初めて福祉の世界へ入って感じる違和感と転職活動。

今回、勤める保育園を変更する事に決めた決定的な理由は、

古い歴史による古い考え方の環境が変わる可能性を感じなかった事。

もしかしたらそれは一部の人達によるものかもしれません。

その後に入った人達に、それに違和感や疑問を感じるスタッフが居れば、

そしてそれを見逃さず声を出して、問題提起出来たなら、

いろいろな考え方を擦り合わせ、少しずつ少しずつ歩み寄って来れたのかもしれません。

でも実際には、揉め事を起こしたくない、人間関係を崩したくない、

イコール自分を守りたい。そんな人が大半だったから。

どこの職場でも同じことです。

今まで日本人の多くはそうだったかもしれません。

出来たら人との調和を重んじたい。

上下関係がはっきりしていて、意見も言えない。従うしかない。

職種によると思いますが、少なくとも私の置かれた保育士と言う立場では、

最優先すべきは、児童の権利に関する条約にもある通り、

「子どもの最善の利益」です。それは間違いありません。

それが私の思う、私の譲れない「筋」の部分です。

職員同士の連携が、良い保育空間を作り出す。

だからこそ、それぞれの保育士がポリシーと責任を持って

一人一人の子どもに向き合って行く中で、方向性の擦り合わせが大事。

その土台が、今の私には出来なかった。出来る環境ではなかった。

何故か。私は保育士資格を取ってまだ2年だから?保育士経験が浅いから?

それでも私は時々、問題提起をします。子どもの権利を守りたいから。

間違った方向で、まだ産まれて1年や2年の子ども達にマイナスの涙を流させたくないから。

誰に対してするのが良いのか考えます。

そして、恐らくその相手を間違えることはないと信じています。

何人かの保育士と話しました。でも問題提起とは捉えられませんでした。

園長とも話を重ねたけれど、今のその保育園の「現状」では、届くことはなかった。

あくまでも私の思うことは、理想論にしか過ぎない現実がそこにあるのです。

園長は尊敬すべき保育者でした。乳児期の保育に熱い人だと聞いていました。

ですが、園長は別の仕事があります。子どもを守るべき保育園でもっと他の大事な仕事って何でしょう。

福祉の現場は、あまりにも体制が整っていない。

労働環境としても未熟だと言う事が、私が45を過ぎて初めてその世界に足を踏み込んだ感想です。


保育園で勤める前、私は児童養護施設で、指導員をしていました。

その時に書いた文章があります。

私は施設に入ったら必ず「闘う」シーンがやって来ると思っていました。

それは古い職員体質に対してです。

子ども目線ではない施設が多い中、子ども達の嘆きばかりが目に付きます。

どうにかそこに違う流れを送りたかった。

施設とは懸け離れた別の数々の仕事をして来て、子育てをして来て、

義理の家族との暮らしの空気感や苦労を目の当たりにもして、

私と言う人間が思う事。それは全て私の経験から来るものです。

100人居たら100人が違う人生を送ります。

だから100人分の価値観が生まれます。

その中で良い知恵を寄せ合って、問題意識を持ち、施設で暮らさなければならない現実の中を懸命に生きている子ども達のお役に立てたら、と思っていました。

でもそのように考えて職務を行っている職員がどれだけいるでしょうか。

分かってはいましたが、広くは日本の福祉社会に於ける失望をしてしまいました。


そうして私は、児童養護施設を離れました。

その後、保育士資格を取り、一般の保育園で勤めています。

最初の動機は、問題の多いとされている一時保護所で働きたい、と言うものでした。

求人情報を見ると、保育士免許が必要でした。

20代の頃に取り損ねたままだった保育士試験にチャレンジするきっかけとなりました。


社会的養護に特化して、自分の方向性を考えていたわたしは当時、

はてなブログを書いていました。

参考まで・・・。


このnoteでは、堅苦しい記事で固めるつもりはありません。

時々、熱く語るくせのある私です。

本来は、のんびりゆったりと生きて行きたい。


最後まで読んで下さってありがとうございました。




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