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加配保育士の必要性と役割とは何かを考える。

ここのところnoteに書き留めたい事がたくさんあり過ぎて、でも体力も付いて行かず、頭の中が忙しく一杯一杯。うまくまとめられる自信はありませんが、まずはこの週末、加配の頭をオフにしようと思った土曜日の夜、早速書いてます(笑)

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今、どこの保育園にも「気にかかる子ども」「手のかかる子ども」が居ます。それは一定数居て、5人に1人とも言われています。保育園は集団生活。数多くいる子どもの中で何が気にかかるか。

それは例えば、絵本をみんなに読み聞かせをしているとき、みんなと同じように一カ所に座っていられない。ふらふらと違うところへ行き、一人だけ違う遊びをしている。保育士が声をかけても振り向かず自分の世界に入り過ぎている。言葉がけをした時に目と目が合わない。言葉がその子どもに入って行かない。一定の強いこだわりを持つ(引かない)。周りのお友達の真似をしない。一緒に遊ぼうとしない。などなど、多くのシーンを私も見て来ました。

そんな中、どうしてもその子どもは、周りの生活の流れや速度に沿わず、部屋を突然抜け出したり、ひとりいつまでも何かに没頭していて、次の準備が出来なかったり、自分が何をしたらいいのか、何度繰り返し説明しても、その都度説明しないと分からなかったり・・・。外遊びからお部屋に戻る時も、取り残されてしまいます。一つ一つの行動に援助が必要です。私はいつもそのような子どもが気になって、手をかけていました。その子どものペースがあるので、寄り添うこともしていました。ですが、集団生活となると困り事も出て来ます。全体をまとめる立場の担任はその子どもだけに手を取られるわけには行きません。

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そこで必要となるのが、加配保育士と言う存在です。その加配を必要とする子どもに付く保育士です。加配を付けるか付けないかはその保育園によって違います。法律で決まっていないしその位置付けも曖昧です。国の配置基準(子ども:保育士の数)や都道府県の配置基準がありますが、加配はそれには含まれません。配置基準は最低限必要な保育士なので、加配を入れると保育士の数はプラス1となります。保育園としては、最低基準以上の保育士を雇用するのは経費的にも難しいし、今、保育士不足と言われているので、正式に加配保育士を置く保育園はまだまだ少ないのか、その辺りは私も詳しくはないですが、今年2月まで在籍していた保育園には、加配保育士としての配置はなく、そして4月から新しく通っている保育園では、私が加配保育士として5歳児クラスに配置されました。

5歳児クラスと言えば、配置基準によると保育士は一人で良いので、本来なら担任だけなのですが、フルタイム週5の私は、そこの加配が必要な二人の子どもの加配担当としてそのクラスに在籍することになりました。

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本題はここからなのです・・・。

私は、この保育園は加配をしっかり付けていて素敵だな。私はその加配の担当になったのだから援助方法を勉強して、その子ども達がストレスを出来るだけ感じないように健やかに過ごせるように寄り添って行こう、と思いました。前の保育園では、加配が必要とされるであろう子ども達は、いつも叱られ急かされ泣いたりもして、「良くない子」として扱われているような印象を受けていて、それがとても心苦しかったから。その子ども達にも言い分はあるだろうし、それでも上手く表現出来ず、癇癪のような形で現れたり、シクシクといつまでも泣いていたりします。私は性格上、とことんそれに寄り添ってあげたいのですが、前の園ではその風潮がなく、自分の保育観の軸を立てると保育士間の関係性が悪くなったり、理解されず孤立したり、中には同じような考えを持つ保育士さんが数人居ましたが、その保育園の古くからの伝統の前には発言権もなく、ストレスを抱えていました。

そのような事からこの春、転職をした訳ですが、今回の保育園ではとても人間関係は良く、正々堂々と加配として仕事が出来るので、居心地は良いものの、1ヶ月が経ち、ここでの「加配」のあり方について、方向性を付けて行かないといけないな、と思うようになりました。

新型コロナの流行に伴って、通園自粛の要請が保育園から保護者に渡ったのもあり、2〜3割の子どもに減った中、幼児3クラス合同で過ごすことも多くなり、前の記事に書いた通り、子ども達に様々な負担がかかっているのも現実です。去年までのその加配が必要な子ども達の姿を私は知らない中、突然二人を任されたので、まずは信頼関係を築く事が最優先と考え、交流して来ました。その中で、少々甘やかしているように思われる事もあったかと思います。なぜなら私は、大きな崩れが起きた時に、その子どもの気持ちに寄り添い、5歳なのでもう十分話は出来るので、言葉を拾いながら、時間をかけて二人を同時に見ていました。出来ればその崩れを少しずつ減らして行く方向で、私はどう振る舞うべきか、日々考えていました。1ヶ月が経った時に、二人は他の子どもとは別行動(例えば、クールダウンの為の時間、眠くて立ち上がれない時に少し休ませてあげる、どうしても今この絵本が読みたいんだ!と言う主張にも何とか大きくペースを乱すことのないように配慮はしながらも、思いに応える方向で、もちろん、今は何をする時間?と毎回問い掛け、流れに沿わせる働きかけはしましたが、まだ信頼関係の築けていない私の言うことは聞こうとはしません。)

行動の切り替えが苦手なので、公園帰りにはいつも崩れて、まだ公園で遊びたい!と列に並ぶのに時間がかかっていたところ、私が担任に、「帰る5分前には声掛けをしたいから教えて欲しい。」ことと、「水筒のお茶を飲み干すまで歩こうとしないので、お茶を半分にして欲しい。と保護者に伝えて欲しい。」など働きかけを変えた事で、公園からの帰りがスムーズに出来るようになったと言う事例もありました。それでも午睡前後は大きく崩れる日々。

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そろそろ次のステップに移行して行かないといけないな。と思い始めていました。とは言え・・・。理解の発達のバランスが上手く取れていない二人はあくまでも脳の障害を持っている。どこまで寄り添って、どこまでこちら側が主導権を持ってルールを守らせるのか。その方向性が、少し見えなくなっていました。

そして考えたことは、まずは、保護者の思いを聞く事から・・・。私にはその情報がまだありません。来年の小学校入学に向けて、どんな姿を望まれるのか。私個人の考えとしては、ASDは障害と言えども個性として捉え、それぞれが持っている、計り知れない才能を見出して伸ばしてあげること、それが加配としての彼らへの援助。配慮することにはよって、生きづらさを軽減させてあげること。でも周りと同じように過ごせる事を望まれるとしたら、出来ない部分に対しても、無理にルールに従わせる(もちろん生きて行く上での最低限のルールはあるでしょうが)感情的にもがき苦しませるやり方をしてでも、心を鬼にしてそれをさせる事になる。それでもいいですか?と言う問いかけと確認が必要。私にとってはもはやそれは虐待に近いものだと思うのです。

そして、保育園としてどのように考えているのか。保育園も、彼らを特別扱いしない、あくまでも周りと同じように過ごさせる事を目的としているなら、私のやり方はその保育園にとっては、間違っている。

加配の役割とは何なのか?無理にでもルールを守って動ける人間に導く事なのか?私はどうしてもそうは思えず、子ども達を泣かせたり、無理強いをするのではなく(ある程度の我慢は必要だとは思いますが)、その子一人一人の能力を見極めた上で対応して行きたい。その為にプラス1人の私がそこに配属されている、と思いたかったのです。

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発達障害に関する概念の歴史はそれ程長いものではない。保育園によってもその捉え方が違うし、定まっていない。誰もが、長く保育士をされている方でさえも、新しい知識を取り入れる必要がある分野。時代と共に子どもも変わる。確か、私が数年前に受験した保育士試験にも発達障害についての知識や対応に関する問題はなかったような気がします。

保育士の誰もが手探りの中、加配をしているとすれば、社会情勢が変わり、これからの時代は大きく変わることが予想されている今、保育のやり方も加配のやり方もそれぞれ変化して行くべきであって、現代社会に適応する加配保育の参考書もなければ、答えもない。発達援助のノウハウに関する様々な書籍を手にしましたが、ヒントはあっても、それが果たして今、目の前にいる子ども達に求められているものなのかどうか。考えたらキリがありませんが、私は自分の軸、子どもの最善の利益を守るところからは遠ざかることなく、これからの道を周りを巻き込みながら考えて行きたいと思っています。

とても偉そうですが。書物から得たノウハウは、また次の記事でまとめて見たいと思っています。


発達障害やその他様々な子ども達が、健やかに育ち、多様性を受け入れられる社会が来ますように。もうそんな時代は来ているような気はしますが、まだまだです。


長文になりましたが、お読みいただきありがとうございました!






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