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子どものやる気のタイミングは子どもが決める

これは、私の子育て観、そして、保育観についてのお話です。

2人の息子は今、25歳と21歳。成人して子育ては終了し、保護者という概念や親権という概念からも離れて、今、子育て時代を遠くに思い出しています。

2人の息子を育てるに当たって、私が無意識に心掛けていたことは、精神的、社会的に自立した大人になること、でした。それは決して、甘えさせないことではありません。むしろ逆で、子育て時代は存分に甘えさせて育てました。

人生の主人公は、息子達本人です。私の身体から生まれて来た当時、自分では何も出来ない未熟な赤ちゃんだったけれど、乳幼児期を経て小学生になり児童期も後半を迎えた時には、自分と向き合うことや人生の道を決めるスタート地点に立つと思っています。それはおおよそ10歳くらいではないかと思います。

とは言え、現代の子ども達は、身体の発達は以前より早いけれど、精神年齢は少し幼いと聞いたことがあり、これからの変化に飛ぶ未知の時代にはどうなるのか?いかにもそれは孫の世代であり、興味深く感じています。


私の母親は、真面目で厳格な人でした。父を10歳で亡くした私は、母子家庭で母親1人の手で育てられました。女の子ということもあり、また、母は小学校から女子校育ちなので、門限や進路など、色々と厳しいところもあり、私は母に心配をかけないように、また、母が機嫌が良いように、いつも母の顔色を伺っていました。高校受験、大学受験、そして就職も、母が喜ぶ進路を選びました。

社会人になって、結婚して、自分の道を歩き出すと、途端に自分の未熟さを感じました。誰かに心が依存しなければ生きていけない自分を感じました。

そのような観点から、私は息子達には、しっかりと自分の道を選んで私から心身共に自立し、幸せに生きて欲しいと願ったのです。


ところで、話は戻りますが、人生の土台は、乳幼児期に出来上がります。私は今保育士をしていますが、子ども達を伸び伸びと過ごさせている保育園にあまり出会ったことがありません。それは無理もありません。集団生活だからです。中には、ひとりひとりを大切にした小規模の保育園もあるので、ひとまとめには語れませんが、少なくとも私が勤めた大規模保育園、中規模保育園では、我慢を強いられている子どもが少なくありません。

「がんばれがんばれ」と大人は子どもを応援します。けれどそれは本当に応援でしょうか?大人の決めた成功や正解というゴールがあって、それに導くためのものではないでしょうか?

もちろん、日常的な生活面での自立、自分で衣服を着脱する、トイレに行けるなど、就学までに出来ておいた方が良いことは色々あります。けれど、1日でも早く!と焦る必要はありません。そして、早く出来ることが正解ではないのです。大人はいつも誰かと競い合ったり、比べたりします。

大事なのはそれよりも、大人に受け入れられているという安心感を子どもに感じてもらうこと。不安を感じさせないでいることが、情緒の安定に繋がります。情緒が安定するに伴って、反抗期もやって来ます。乳児で言うとイヤイヤ期と呼ばれますが、それは、自我の確立にとって必要なことで、イヤなのではなく、自分でやりたい、自分で決めたい、ということです。言われてするのはイヤ!なんて素晴らしい成長でしょう。

乳幼児期に十分甘えられた子どもは、自然と視野が外へ向かっていきます。そして親や保育者との信頼感を得た子どもは、伸び伸びと自分の道を探究していきます。親にとっては少々淋しい我が息子達の自立ですが、それは息子達の幸せに直結すると感じています。


子どもには無限に世界が広がっている。やる気のタイミングは自分で決められます。少し甘えたくなった時、出来なかった自分に戻りたくなった時は、しっかり甘え直しをさせてあげたいです。自分で出来るようになったことでも手伝ってあげればいいし、時には抱っこもしてあげたらいい。大切なのは、その子どもが安心して次の何かに好奇心を抱ける環境を作ってあげることなのだと私は思います。

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