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自分は決して強くないと言うことを自覚する。

いい加減、自分の弱さを認めなさいよ、と

信頼するある人に言ってもらった。

そうだ。私は強いと言う暗示をかけただけの本当は弱い人だ。

だからこうして50歳になった今でも急に心が迷路になる。

自己内省しているつもりでも、出来てるつもりでも、

やはり相手に与える影響を考えると、自分の感情は後回しになって、

積もり積もって沈没するから厄介だ。

ギリギリのところまでは耐えられる。そしてそんな自分で居たいとも思ってた。

私は格好を付けたいわけでもなく、強がりたい訳でもなく、自分に正直に嘘偽りなく表裏なく生きて来たつもりだけど、この強さ、弱さの部分で見ると、弱い分類に入るのだと、その指摘を素直に受け止めた。


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10歳の頃から私は強く居なければいけなかった。実際にそうなっていたかどうかはわからないし正直怪しいところもあるけれど、弱音を吐けない立場にあった。

10歳で私の子ども人生は終わってしまって、心の拠り所を失った。

それでも母には愛されていたのだけれど、圧倒的に欠けてしまったものがあった。大きな喪失感と大きな責任感、そして不安があった。


人間は、いとも簡単に冷たい物体に変わるんだと知った以上、なんで生きてるのか分からなかった。みんな死に向かっているというのに・・・。そして、母もいつ何時居なくなるか分からないんだと思うと恐怖だった。


だから私は親と暮らせない子ども達の支えとなって、その気持ちに寄り添いたかった。個人的に支援していたEちゃんは出会った当時高校生だった。高校2年で保護されて施設で暮らしていた。遠方で2回しか逢えないまま、20歳で自らその命を経った。まだそれから半年も経っていない。児童養護施設で働こうと思ったのも、子育て支援の仕事を選んだのも同じ理由からだ。


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私は人を元気にしたい。私は人を癒したい。けれど、私のパワーには限界があるようで、どうも私にはそのパワーを補充してくれる人が居ないと私のやりたいことは成立しないのだと、よくよく分かった。


これからは、バランス良く、自分に負荷をかけ過ぎす、自分はそこまで強い人間ではないと言う自覚をさらに認識しながら、休み休み進んで行かないと、共倒れになる。


私は今、大切な人達を支えたいはずなのに・・・。


自分の弱さを認めて、安心出来る場所を見つけたら、もう一度残りの人生を羽ばたかせられるだろうか。


私は、笑顔と笑い声の人になりたいのだ。憧れの自分に近づけるようにこれからも自己内省を続けて行く。





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