HSPというワードの乱用に対する危険性について思うこと

HSPというワードが広く知られるようになったのは、いつ頃だろう。

少なくとも私が自分がそれに当てはまるのでは?と友達に聞いて調べたのがちょうど1年前の2020年2月だった。

HSP判定は自己診断でするもので病気ではないので、病院のお医者さんに告げられるものではない。あくまでも各チェック項目を自分で当てはまるかどうかチェックして行って、合計点数で判定する。合計60以上だとHSPの気質を持っている可能性があり、私はその数値が110だった。まさに正真正銘のHSPだと思った。中でもHSS型HSPというのがあって、好奇心旺盛で行動派、一見他人には繊細な部分を見つけにくいタイプなので少し厄介だ。


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私はそれまでの長い長い年月の生きづらさの理由はそこにあったのだと確信した。その時の安堵感を今でも忘れない。世の中にはそういう気質の人が居て、それは私だけではなくて、HSPでは5人に1人。HSS型HSPでは20人に1人。統計的に見て存在するらしい。それは生物学的に見て、細やかなアンテナを持っている(だから繊細さんと呼ばれる)人材がその割合で必要らしい。

私が今まで色々なシーンで、どうしてあの人はあんな風に振る舞えるのだろう?どうしてこの気持ちに気づかないのだろう?と自分を主体にする見方をしても子どもを主体にしても疑問に思うことが多かった。それは相当な葛藤だった。

自分がそう思う時は、人は私の気持ちを分かってくれない、なんで?と寂しく孤独感が増した。何故なら、自分なら当たり前のように理解出来たり配慮出来たりするものだから。自分は周りの人に大切に扱ってもらえていないと感じていた。父親を亡くしてたった1人の親である母には、「あんたは育てにくい子や」と言われた。実際、母と分かり合えるまでには相当の年数を要し、まさに私がこの気質に気付いてから、母には分からなかった事が多かったんだろうな、とも思った。


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また、保育士をしていた時に、悲しんでしくしくと泣いている子どもにどうして寄り添ってあげないの?泣いてることを叱って放置できるの?私には全く理解が出来ないことだった。また、HSPは人の気持ちを放っておけないところがあるので、その子どもと同じ気持ちになって悲しんだりした。幸い、子ども側からすれば、この先生は分かってくれる、と安心してもらえる立場になりやすかったけれど・・・。

保育士時代も色々な葛藤があった。子どもの気持ちに寄り添いたい気持ちが先行して、周りの保育士と上手くそりが合わなくなることもあった。周りの保育士のことをリスペクト出来ない心境にまで達すると、私はまた職場でも孤独になった。同じ保育感を持つ同僚とはよく話し合った。それは共感だらけで、話が尽きず、私の考えは間違ってもいないと思えた。けれどそのような保育士は現場から居なくなる傾向にある。

社会には色々な人が居て、これから先子ども達もそんな社会で生きて行くのだから、理不尽な目に合うこともあるだろう。だから保育園でも色々な保育士(大人)が居ていいのだ、と無理矢理納得したりもした。


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さて、前置きが随分長くなったが、私は昨年6月末からStand.fmという音声配信アプリを使っていて、色々なお喋りや発信をして来た。ユーザーもすっかり増えて、その中でこのHSPやHSS型HSPの文字をたくさん見るようになった。あちこちのプロフィールや名前の横に書いてある。かく言う私も、プロフィールに載せている。私の意図に、「私は繊細さんなので取り扱いに注意して下さい」という気持ちは微塵もない。それよりもHSPの気質を持っている方に安心してもらいたい、私もそうだよ、ここに居るよ、といった具合に。。。ただそれだけだった。


前にも投稿した通り、HSPと言えどもいろんな方が居る。私は無用心に近付いて、ひどく傷付けられた経験から、私はこのHSS型HSPの記載に疑問を持って、ここのところしつこくこだわっている訳だけれど、今はもう、「そんな人も居るんだよ」程度にとどめておきたいと思う。何故なら、それ以外の人、HSPとは関係のない大多数の方々がそれを見て、何と思うだろう??

今まで多くのHSP気質の方を目にして来て、その人達に寄り添う気持ちで居たのだけれど、それ以外の人達のことをどう捉えるのか?それこそがまさにHSPの気質を持つ人の本領発揮ではないだろうか?


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HSPを売りにしてる、HSPを言い訳にしてる、なんて思われては困る。むしろ逆効果だ。HSPの気質を持つ人は、とても繊細なので本当に生きづらさを抱えていて、実際、鬱症状が出やすい。けれどこれは障害でも病気でもないので、処方箋は何もない。それぞれの人がどう自分と向き合って、無理なく心地良い場所を見つけて、心地良い人生を送るか。細やかで周りのことをよく考える人達だから、私はその気質を武器にして欲しい。

出来れば私自身もHSPに生まれたくなかった。人に対して、その場の空気に対しての気付きが多いのは、決してラクなことではない。刺激が強過ぎて、疲れやすい。

HSPを知らない人達、知ろうとしない人達によって、辛い偏見に晒されないようにする為には、HSPの人達が、自分が出来ることとしんどいことを見分けて、それこそ色々な情報を断捨離して、スマートに生きて行くことなんじゃないかと思う。

私は、プロフィールのHSS型HSPの文字を消そうかな、と思っている。

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