【第十回】チャップリンが生きた道~サーカス編~
「黄金狂時代(1925)」の次に手掛けた作品は「サーカス(1928)」である。
本作はタイトル通り「サーカス」がテーマであることから、体を張ったシーンが多く、スタントは一切なしで撮影されている。
例えば、綱渡りをするシーンやライオンの檻に入れられるシーンもスタントなしである。
チャップリンの恋敵レックス役を演じたハリー・クロッカーと共に、何週間も綱渡りの練習をした。
なんと、綱渡りのシーンは700回、ライオンの檻に入るシーンは200回もの撮影に至った。
「サーカス」はチャップリンの長編映画のなかでも、シンプルな喜劇映画となった。前作の「キッド」や「黄金狂時代」とは異なり、社会風刺やブラックジョークは無きに等しい。
また、「黄金狂時代」「街の灯」「独裁者」と比べると、やや知名度が低く、作品のなかで最も過小評価されていると感じている。
しかし、「チャップリンのおすすめ映画は?」と聞かれた際は、チャップリン映画入門として「サーカス」を推している。理由としては、チャップリンの笑いと優しさをエンターテインメントとしてド直球に表現しているからだ。
チャップリンの喜劇スタイルを単純に楽しむにはもってこいの作品である。さらに、おすすめ理由を付け加えるとするなら、チャップリンとサーカスの親和性が非常に高いことが挙げられる。
本作は、成り行きで放浪紳士チャップリンがサーカスに入団する話なのだが、とくに得意芸を持っているわけでもないのに、チャップリンの滑稽な姿は観客に大受けした。
チャップリンから笑わそうとしているのではなく、笑われているという感覚に近いけれど。
そんな喜劇に徹底した映画だが、撮影裏では問題が立て続けに起きていた。
まずは、サーカス撮影時は二番目の妻リタ・グレイとの離婚訴訟の問題があった。リタの弁護士はチャップリンの評判を落とそうとし、法廷闘争のときに弁護士がスタジオ資産の差し押さえを要求。この影響により撮影は8ヶ月間中断し、撮影済みフィルムを安全な場所に移した。
リタとの離婚騒動は、心労により白髪になるほどチャップリンに大きな悪影響を及ぼした。
しかし、悲劇はそれだけでは済まなかった。
撮影が始まる前には、映画のセットのテントが暴風によって破壊され、4週間撮り溜めたフィルムが不適切な作業により使用できなくなった。
さらに、チャップリンに追い打ちをかけるように、撮影開始から9ヶ月後にスタジオ内で火災が発生。撮影のセットや小道具が焼失してしまったのだ。
撮影は一筋縄ではいかず長期間に渡って困難が続いたが、チャップリンは「サーカス」を作り上げた。
リタの問題や撮影時のさまざまな不運にも負けず、喜劇に徹底したスタイルが功を奏して、1929年のアカデミー特別賞を受賞した。
しかし、やはりチャップリンにとっては辛すぎる時期だったのか、自伝において「サーカス」は触れられていない。
チャップリン長編映画史上、最も笑いに特化した作品にもかかわらず、チャップリン自身は悲劇に見舞われていたという事実が悲しい。
だが、意外な方法でチャップリンは「サーカス」と向き合うことになる。
1969年再上映版の「サーカス」のオープニングで流れる曲「スイング・リトル・ガール」は、チャップリンが作曲して歌を録音した。
当初は「スイング・リトル・ガール」を歌うためにプロの歌手が起用されていたが、音楽監督のエリック・ジェームズの勧めによりチャップリンが歌うことになったのだ。なんでも、チャップリンはこの曲をよく歌っていたらしい。
以前にも紹介したが、チャップリンの名言として知られる「You’ll never find rainbows If you’re looking down(下を向いていたら、虹を見つけることはできないよ)」は、この曲から引用された言葉である。
「晴れる日もあれば、雨の日もあるよ」という力強い歌詞と共に、吊り輪を練習する娘が登場するオープニングは印象的だ。
過酷な練習とネグレクト気味の父親に苦労する娘に向けた歌のようだが、個人的見解として「サーカス」撮影時の自分に向けた歌だったのかもしれないと感じている。
チャップリンにとって「サーカス」は辛い時期だったが、自身で作曲して歌い、過去の自分に夢を与えるかたちで再上映してくれて嬉しく思う。
ー続く
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