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みんなに好かれる必要はない 禅の教えから気付く私の執着心

とらわれない、かたよらない、こだわらない

禅、シンプル生活のすすめ


みんなに好かれる必要はない。

『この人とはうまくやっていこう』
『この人とは仲良くなろう』

そんなことを考える必要はないって、本書には書かれている。

でも、私は、
頭の中でずっと判別をしていた。

『この人とはめんどくさそうだから距離を置こう』
『この人は陰キャラぽいからこれ以上仲良くなるのはやめよう』
『この人に嫌われたらいじめられそうだから仲良くしよう』
『この人の言うこと聞いていたら得しそうだからニコニコしとこう』

うまくやることに執着し、
人から浮かないようにって、
他人の目ばかり気にして、
勝手に判別してきた。

だから、うわべだけの人間関係を作っていた。

目立つ人たちから、
嫌われたくない!っていう気持ちが強かった。

でも、年を重ね、
いろんな学びをしていくうちに、
頭の中で判別している自分に疲れ、
いつの間にか、
『誰からにも好かれる必要はないのでは?』
って、思うようになった。

だからといって、
嫌われたくないっていう気持ちがなくなったわけではなく、
誰からも好かれる必要はないことには気づけたが、
好きな人、自分の生活圏内の人には嫌われたくないっていう気持ちは残っている。

なんだろう。

この人には嫌われたくない!っていう気持ちは常にある。

なにもなかったら、
それはストレスでもなく、
嫌われたくない行動がプラスに働くが、
トラブルが起こると、
この思いがストレスになる。

そして、嫌われてもいいって思えるところまでいけたら、
この思いは、簡単に手放せる。

が、そこにたどりつくまで、
葛藤にもなり、
ストレス過多にもなる。

とらわれない、
かたよらない、
こだわらない。

つまらない執着を断ち切って、
悠々と生きれるようになりたい。

花が咲けば、自然にチョウチョがやってくる。
木に葉がつけば、なにもしなくても、
鳥たちがやってくる。

あがいても、
時期がきたら枯れて、
時期がきたら芽が生える。

そこには、抵抗があったり、
反発したりする必要はなく、
自然の流れでものごとが流れていく。

人との関係も、
本来はそれと同じようなものなはず。

抵抗せず、反発ではなく、
無理もせず、そのまんまを受け入れて、
目の前の人を大切にする。

それだけいい。

少し前までの私に伝えたい。

『とらわれない』
『かたよらない』
『こだわらない』

つまらない執着を断ち切って、
悠々と生きてみようって。


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