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ペスカタリアンっぽい生活をたまにする人
突然だが、私は「ペスカタリアンっぽい生活をたまにする」人だ。
「ヴィーガン」や「ベジタリアン」という呼称は昨今よく聞くようになったと思う。
自分自身も調べるまで知らなかったが、ペスカタリアンとは「菜食主義・ただし魚は食べる」を行う人の呼称だそう。
私が魚を食べない生活が出来ないのは、結論、ひとえに寿司が大好きだからである。
極端な話、肉を食べない生活はなんとか想像が出来るが、寿司を食べられない生活は嫌だ。
北海道出身ということもあり、幼少の頃から魚介類に縁がある状態で生きてきた。知り合いには漁に関わる仕事をする人もたくさんいる。
モントリオールにいた時、ずっと「早く日本の寿司が食べたい」と願ってやまなかった。
でも肉も好きだ。特に牛タンなんて大好きで、帰国後一番に食べた。
くわえて、卵やチーズも大好きだ。
モントリオールへ留学に行く少し前に、これを実行し始めた。
私の「ペスカタリアンっぽい生活をたまにする」とは、
・基本的には魚と野菜(と卵、チーズなど)を食べる
・肉や動物性食品を食べないわけではない
・肉を食べる日、機会を意図的に減らしている
・気が向いたら、ヴィーガンやベジタリアン製品を選ぶ
なので、大仰そうな聞こえに反してだいぶ適当である。
外食やら何かしらが重なり、2〜3日連続で肉を食べる日もあった。
こんなもんだから、周りの親しい人でさえも私がこの食生活を行っていることを知らないだろう。自分からも特に伝えていないし。
それぞれの選択にそれぞれの理由があるだろうが、私に関しては「自分のため」というのが大きい。
こういう話の中ではよく環境破壊や動物愛護についてが出てくる。
もちろんそんなことも頭の片隅にはあるのだが、私の場合はそこに焦点を当てて行っているものではなく、肉の調理が面倒だったり、そもそも野菜が好きだったり、肉を頻繁に食べるような食生活が自分の健康状態に合っていない気がしていたからというものだ。
環境破壊はなるべくなら進まないほうがいいし、動物は好きだし、まあ、結果的に自分の行動が何かしら良いことに繋がればラッキーだし、それならやるか、くらいには思っている。
私の場合は、寿司のほか、納豆卵かけごはん、かぼちゃコロッケ、茄子の揚げ浸し、里芋の煮付け、鯖の味噌煮などが心から好き(かつ、家で調理が可能)なのも、これを実行出来る理由になっているかもしれない。
私が実行している「ペスカタリアンっぽい生活をたまにする」程度のものだと、「毎日肉を食べる人の方が少ないんだから、ほぼ全員そうなのでは」という意見があるのもインターネットの海で見た。
確かに。と思いつつ、「肉を食べる機会が少ない」という結論は同じでも、「そうなっている」と「そうしている」では、そこに差がある、と思いたい。
その気持ちが連鎖的に、また別の方向から健康、ないし環境や動物について考えることに繋がるはずだからだ。
ただ、ヴィーガンやベジタリアン製品は、動物性由来の原料を使わないことをカバーするため、添加物が多く含まれていたりする場合もある。
ここを意識せずに形だけで入っても、「健康を害す」「身体に悪そう」という元も子もない結果になるため、気をつけている。
モントリオールに住み始めた頃、ヴィーガンやベジタリアン、ハラールなど、特定の原料・食材のみ使ったメニューがどの店にもほぼ必ずあったことに驚いた。
そう考えると、日本の外食できっちりと菜食主義などを行うことはまだまだ難しいことなのかもしれない。
何を食べない人が偉く、何を食べる人が悪いという話ではない。
「大好きな物を我慢して食べないようにする」とか、そういうことでもないと思う。
やるかやらないかは別として、考えるだけでもいいはずだ。
何かを変えたいとか、大層な目標があるわけでもない。
とにかく今ある生活、食のすべてに感謝をして、健康や環境に対して出来そうなことがあるならやる。
ちょっとの意識が、意外と良いことを起こすかもしれない。
そんな感じ。
北海道出身