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波瀾万丈の人生を振り返って思う、後悔しない生き方

後悔。「後から悔いる」こと。

自己紹介などを読んでくれた方には意外に思われるかもしれないけれど、実は人生に後悔はそんなにない。

後悔は、自分に人生の選択権がないとできないのだと思う。
バッターボックスに立てていないと、「あのとき変化球を予測していたら」なんて後悔は出てこないのである。



行けなかった大学


この記事ではじめて私を知る方は、まずはじめましての記事を読んでほしいのだけれど、私は家族との折り合いが悪く、結果解離性障害という精神疾患に今も苦しんでいる。

ものすごく、苦しんだ。
どのくらい苦しんだかというと、小さいころから本の虫で、放っておいても学習机にかじりついていたような知識欲旺盛な女の子が、学校の勉強の中でもとりわけ好きだった分野を学べる大学に進学できたのに、すごくすごく行きたかった講義にまったく行けず、1年留年した結果卒業に必要な単位の半分しか取得できず退学した、といったら伝わるだろうか。

大学については今でも未練たっぷりで、60歳になってまだ行きたかったら絶対に入学しなおそうと思っているし、そのための資金につみたてNisaにいそしんでいる。

でも、じゃああのとき退学したことを「後悔しているか」ときかれると、不思議なことに後悔はまったくないのである。
強いて言えば退学ではなく、1年生くらいの段階で休学しておけばとかは思わなくはないが、そもそも私が平日5日間動けるようになったときにはもう27歳だったので、大学のシステム的に10年も休学できるのかわからないし、27にまでなっていたらアルバイトでもなんでもやって生活力をつけるのが優先、結果今のルートが最善という結論に至ってしまう。

大学生だった時には私の体調は悪すぎて、退学して休む以外の選択肢はなかった、という事実を突きつけられると、もう納得してしまうしかない。
繰り返しになるが、後悔は、自分に人生の選択権がないとできないのである。


当時の私の「1番の後悔」


高校生から大学生くらいにかけて、私は後悔していることを聞かれたら、真っ先に「この家に産まれてきたこと」と答えていた。

いま思うと、母親は少々ヤバい人だった。
苦しむ娘に対して「赤ちゃんは空の上から親を選んで産まれてくるのよ」と言われた時の衝撃が忘れられない。

たぶん私が、「あ、どこに産まれてくるかって、私に選択権ないわ」と心から理解して、これを後悔の対象から外せたのは、この時の母親の言動が大きいと思う。
涙を流しながら熱弁する母の様子をみて「やべー奴じゃん」と感じた自分の心境から、逆説的に「赤ん坊には、もちろん昔の私にも、産まれる場所を選ぶ権利などない」と知った。


おわりに


後悔は、自分に人生の選択権がないとできない。
選択権がないことで後悔していても、時間がたてば必ず、「どうしようもなかった、その割にはよくやっていた」と自分を称えられるようになる。

私ほど選択肢が少なく、単純に不幸な環境に身を置いていた人が少ないから言えることかもしれないけれど、
その時の最善の選択をとり続けることができたら、仮に環境が最悪だったとしても、後から後悔することは少ないのかもしれない。あの時を振り返った時の心の穏やかさをみて思う。

自分の心に正直に、そしてできうる最善の選択を。


『書く習慣』内で紹介されている、1ヶ月書くチャレンジに挑戦しています。
今日はDay20 ♯これまでで1番の後悔 について書きました。

Day16まではInstagramのハイライトから見れるので、お時間あるときに読んでもらえると、とても嬉しいです。


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