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オルレアン国際ピアノコンクールに挑戦したお話〜いざ、挑戦!【後編】

現代音楽の登竜門と言われるオルレアン国際ピアノコンクール。前編では課題曲などを中心に、コンクールそのものをご紹介しました。後編では、私が挑戦した2018年当時のお話をしていきます。

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1. どのように準備したか

忘れもしない2016年12月31日。いよいよ新しい年になるのか、来年はオルレアン挑戦の年だな、と思いを馳せ、何気なくコンクールのHPを見たところ、既に要項が発表されていることに気付きました。興奮しながら課題曲の作曲家リストをチェック。嬉しかったのは、2次予選で演奏できる作曲家リストに、ハインツ・ホリガーさんが入っていたことです。その場でプログラムを以下のように組み立てました。

一次予選:25分以内
1) O .Messiaen : Quatre études de rythme 3 “Neumes rythmiques”
2) I. Fedele : Etudes australes III “Cape Horn”
3) 自作品
4) C. Debussy : 12 Etudes XII “Pour les arpèges composés”

二次予選:50分以内
1) E. Denisov : pour Daniel
2) A. Webern : Variationen für Klavier Op. 27
3) G. Ligeti : Etude No. 13 “L’escalier du diable”
4) H. Holliger : Partita for Piano

三次予選:40分以内
1)  E. Denisov : Signes en blanc for Piano
2) K. Stockhausen : Klavierstück X

本選
1) F. Donatoni : Arpège for 6 instruments
2) H. Parra : Au Cœur de l’Oblique (コンクール委嘱作品)
3)ショスタコーヴィッチ:24の前奏曲とフーガ 作品87より 第24番

もう一つ、要項を見ながらびびびと来たことがありました。本選のアンサンブル曲を指揮するのが、杉山洋一先生と発表されたことです。私はきっと本選の舞台に立つだろう、いや、立たねばならない、と直感したのをよく覚えています。夢中になってプログラムを考えているうちに、気付けば年は越していました。

おおよそのプログラムが決まったら、どのようなペースで読んでいくか計画を立てます。この時点での私の持ち曲は、一次予選で弾くドビュッシーの練習曲と、二次予選で弾くリゲティの練習曲のみ。それでも、2017年内には全ての譜読みが終わって、コンクールが始まる2018年3月までの約2ヶ月間、さらうことに集中できるかなと計画していたのですが…

2017年1月

早速読みやすそうなウェーベルンから始めます。読みやすいと言えるのは2楽章まで。難しい3楽章は気合いを入れて、余裕のあるときに読もう、と放置してしまうのですが、後々それが響いてきます…

2017年2月

3月上旬の門下内試演会で出すため、ホリガーの最初の3曲を読み始めます。初めましての作曲家は、古典にせよ現代ものにせよ、書かれた時代を問わず手こずるもの。音遣いに慣れてくるまで、そして連符の計算に苦労しました。

2017年3月

上旬、ホリガーのパルティータから、最初の3曲を人前に出しました。
とにかく音の多いフェデレの練習曲を、ぼちぼちと読み始めます。

2017年4月~7月

フェデレの音読みに加え、メシアンの譜読み、シュトックハウゼンのピアノ曲Xに取り掛かります。シュトックハウゼンはいっぺんに譜読みするのは無理なので、レッスン毎に1セクション程度持っていきました。当時私はピアノと作曲両方を専攻する大学3年生。諸々の授業の他に、作曲科全体のインペクとしての業務、7月には作曲の締め切りを抱え、さらにシュトックハウゼンのマントラのプロジェクトが始まり、週に1度マントラを数ページ読んでいき合わせるという、かなりハードな生活を送っていました(当時これらを可能にしてくれたのは、一重に周りで支えてくださっていた方々のおかげです)。その中でのコンクールに向けた譜読みの精度は、そう高くはなかったはずです。7月の学内試験で、メシアンの練習曲を初出し。数えることが得意なはずの私ですが、この練習曲に関しては最後まで暗譜に苦労しました。いくつかの要素が組み合わされ繰り返される作品ですが、どの順で組み合わされ、何回繰り返されるのかを理論的に記憶する必要があり、コンクール当日まで恐怖がつきまといました。

2017年8月

こちらの記事に書いた通り、7月下旬〜8月上旬はキュルテンのシュトックハウゼン 講習会に参加しました。本来であればそこで三次予選で弾くピアノ曲Xを見ていただきたかったのですが、ぼんやり音を読み終わった、程度の状態で持っていくことは叶いませんでした。大学は夏休み期間、ここが正念場のはずですが、ちょうど別の作曲の締め切りとぶつかり、コンクール準備は、なんとなくショスタコーヴィチを眺める程度に滞ってしまいます。

2017年9月~10月

9月中旬、音楽教室時代お世話になっていた先生の発表会で、本選で演奏するショスタコーヴィチを初出しします。このプログラムでは数少ない調性作品、と思って油断していましたが、コンクール直前まで師匠にも見ていただくことになる、難関のチョイスとなりました。
10月上旬には学内成績優秀者による演奏会で、ウェーベルンとフェデレを初出しします。どちらも暗譜で…!意外にもフェデレはそこまで暗譜に苦労しなかったのですが、ウェーベルンの3楽章は理詰めで覚えなければならない側面が多少ありました。自作のピアノコンチェルトの初演、フルートとエレクトロニクスのための拙作の初演も10月に控えており、落ち着いてピアノがさらえる日がこれしかない!と絶望的な思いで手帳を眺め、それでも本番に出すのだからなんとか形にしなきゃ、と気合いで乗り越えた気がします。

2017年11月

この辺りから本選の委嘱課題曲、パラを譜読みし始めます。この曲、本当にほんっとうに音が多いのです…!少しずつ、少しずつ、亀の歩みながらも、同時に「無理かも…」という声が頭を過ぎっていました。デニソフのSignes en blancも少しずつレッスンに持っていっていました。
この月は、現音作曲新人賞の演奏会で、3作品ほど演奏させていただきました。その準備や合わせの合間に、デニソフのpour Daniel、ホリガーの残りを見ていました。

2017年12月

上旬、小さな試演会で、ホリガーとデニソフのpour Danielの残りを初出し、フェデレとウェーベルンももう一度人前で弾かせていただきました。この月は学内試験のためにモーツァルトの協奏曲第27番をさらったり、マントラを始めて人前で通したり、これまた息つく間のない月でした。

2018年1月

1月初め、アンサンブル・アンテルコンテンポランのピアニスト、セバスチャン・ヴィシャール先生にレッスンしていただく機会がありました。これはチャンスと、シュトックハウゼンのピアノ曲Xを仕上げる機会にしました。年末年始閉じこもりで10日ほど、なんとか通せるようになりました。
さて、1月は作曲学生にとっては大変な月です。そう、作品提出…!
皆さまお気付きでしょうか、私が一次予選で弾くはずの自作曲にまだ取り掛かっていないことに…もう書くしかないと思い、学校に提出する作品の1つとして、10日ほどで書き上げたのが、その後何度も演奏することになる"Labyrinthe"です。
その他にもう1作品、3台ピアノのための曲を書いていたので、この時期はほとんどピアノに触れていません。さらに、コンクールへの応募をしたところ、デニソフを2回弾くのではなく、何か違う作曲家を選べないか、とのことだったので、急遽オアナのプレリュードを読む必要が出てきました。

2018年2月

作品提出が無事終わり、コンクールまであと1ヶ月…!さあ大変!本選委嘱曲のパラに、ドナトーニが全く出来ていません!自作品も、書いただけ…!
ここからはピアノ集中期間です。朝起きたらピアノ、お昼を食べたらピアノ、お風呂に入ったらピアノ…楽器に触っていない時間が12時間を超えないように心掛けていました。師匠にもたくさん教えていただきました。1回のレッスンで全曲を見ていただくと、4-5時間になることも!師匠に「弾きすぎないでね、さらうことだけが練習じゃないのよ」と言われ、はっとしながらも、ここまで集中してピアノと向き合える時間は、人生の中でもそう多くはないですから、今から考えると辛くも幸せな準備期間だったと思います。

練習方法としては、一日の始めに、必ずリズム練習が必要ないくつかの箇所(ホリガーの5曲目、フェデレの練習曲など…)を取り出すこと、必ず一日に一周、全ての課題曲を【ゆっくり】通すことを心掛けていました。「自分ができる限りゆっくり、そのテンポで楽譜に書いてあることを全て実現すること。続けていれば必ず、必ず弾けるようになります」との師匠の言葉を信じて、さらいました。とある日のレッスンで、全てのラウンドを通しました。コンクール本番では絶対に起こり得ないであろう、全ての課題曲を一気に通すことが、自分はできるんだ!と1つ上の段階の自信を持つことができました。

2. いざ、挑戦!

3月上旬、オルレアンの地に降りたって初めてしたことは、コンクール中通しての演奏順番を決める、くじ引きです。

とにかく1番にならないように、そして3日間ある一次予選の各トップバッターになりませんように…と祈りながら引いた番号は、私にとって縁のある数字でした。うまく説明できないけれど、なんだか上手くいきそうな予感がする、と感じたのを覚えています。私自身は、一次予選の3日目に弾くこととなりました。

全体の一次予選が始まる日の午前、予選会場で30分ほどリハーサルできる時間があります。時間近くになってホールに入ったところ、前に演奏していたあるコンテスタントがとても上手で、私大丈夫だろうか、という気持ちになりました。彼こそが、コンクール中ずっと私の前に演奏することになる、Hyeonjun Joさん(以後Hyeonjun)です。その時はお互い特に言葉を交わさず、自分のリハーサルを始めました。

舞台上のスタインウェイは、特に扱い辛くもなく、ホールの豊かな響きが心地良く思いました。ただ、前のHyeonjunのインパクトもあったのか、とにかく音が出ないように感じてしまい…手応えよりも不安が勝りながら、美しいオルレアンの音楽院を後にしました。

一次予選(42人→15人)

2日目の真ん中だけ少し聴きに、ホールに向かいました。そこで「この子優勝候補だよ」と言われて聴いたのが、Maroussia Gentetさん(以後マルーシア)でした。

さて、いよいよ私の決戦日がやって来ました。一次予選のプログラムの幕を開けるフェデレの練習曲では指が回るだろうか、メシアンの練習曲では暗譜がとばないだろうか…ぐるぐると考えて、数日間良く眠れない中迎えてしまった本番。

私は午前中の出番でした。本番前には音楽院内のSalle de Fauréというお部屋でさらうことができます。自分の弾く時間が近付いたら係の人が迎えに来てくださいますが、私はそれをよく理解しておらず、一度自ら舞台の近くまで来てしまいました。慌ててもう一度お部屋まで走る走る。

今度はきちんと係の人に連れられて舞台袖へ。例の如くHyeonjunの流暢なピアノを耳にしながら、緊張はマックスになっていました。よっぽど緊張が顔に出ていたのでしょうか、コンクールのディレクターであるイザベラさんが「あなたは素晴らしいピアニスト、プログラムも素晴らしいわよ」と声を掛けて下さり、さらにハグまでしてくださいました。もう後には引けない、決死の思いで舞台へと歩を進めました。

本番中は、恐怖との戦いでした。ここまで萎縮してしまう本番も久しぶりで、20分ほどのプログラムを弾き終えても、手が冷たいままでした。

どうだったかな、音もあまり飛んでいなかったし、だめかなぁ、と考えながらお辞儀をし、舞台を去りました。ほっと一息つく間もなく、陽気そうなおじさんが声を掛けてきました。

「僕はコンクールの公式カメラマンだよ!写真、撮ろうよ!」

アーティスト写真をプロの方に撮っていただく機会もそうたくさんないので、「お願いします」と言いながらも、頭の中は「今の演奏どうだったかな…」と反省会絶賛開催中。そのような状況でしたが、当時撮っていただいた写真は、今でも大切にプロフィール写真として使わせていただいています。プログラムなどに出したことはないけれど、特にお気に入りの写真はこちら。

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©︎Pino Montisci

30分ほど撮影会があり、ホールのロビーにでると、母やホストマザーが待っていてくれました。「ショックで出てこれなくなったのかと思った」とは母の言葉ですが、気持ちを少しだけ切り替えて、結果を待つのみです。

いよいよ結果発表。当初予告されていたより少し多い人数が二次予選に進むとアナウンスされました。演奏順に発表され、どんどん自分の前の人が呼ばれていき…無事私の名前も呼ばれました。緊張していた割にはあっけなく過ぎ去っていった瞬間。正直厳しいかな、とも思っていたのですが、自作品の演奏に救われました。

発表後、私の弾いた3日目からいらした審査員の方(一次予選については審査に入られない)に講評を伺うことができました。「メシアン、なんで10度バラしたの。届かないなら他の曲目を選ぶべきだ」「悪くはないけど、特別ではない」というお言葉が、本来私が持っている闘争心に火をつけてくれました。このお言葉を悔しいと思えたことで、次のラウンド、見返すぞという気持ちになれました。

そんな一次予選の様子がこちら。

二次予選(16人→7人)

一次予選が終わってから一日インターバル。一番難しいと思っていた一次予選を通過したことで、大分気持ちが楽になっていました。

迎えた当日は、お昼過ぎの出番だったでしょうか。実は一次予選の後、いつも舞台に持っていくハンカチを失くしたことに気付き、少し落ち込んでいたのですが、二次予選演奏直前、舞台裏に置いてあるのを発見し、まるで旧友・戦友と再会した気になりました。「これは行ける」と直感したのを覚えています。

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(直前舞台袖で談笑する余裕もあったみたい)©︎Pino Montisci

この舞台に上がっていく瞬間を、また公式カメラマンの方が捉えてくださいました。ヘッダー画像にもよく使っています。

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©︎Pino Montisci

オアナのきらめく世界、ウェーベルンの可愛らしいお喋りを経て、いよいよメイン、ホリガーのパルティータです。この日の私は、面白いほど落ち着いていました。私が弾いているのではなく、何者かによって弾かされているようでした。25分の大作が、あっという間に過ぎていきました。ホリガーの最後の1ページを弾く頃には、その音楽の絶望感、全てを経過して残ったものが胸をえぐって、殆ど音楽そのものになった心持ちでした。

さぁ、あとはもう何回も本番に出してきたリゲティの悪魔の階段です。と、ここで事件発生。30分ほど弾いてきた後で筋肉(というより精神)が疲れ果て、テンポがコントロールできなくなります。悪魔の階段は、早すぎず遅すぎないテンポで弾けたとき、最も威力的な効果を発揮する作品です。絶対に弾ききるんだ、自分の身体を信じて、何も考えず指が動くままにしていました。なんとか最後まで辿り着いたときには、ホリガーまで保っていた落ち着きはどこへ、ドキドキが止まらなくなっていました。

とはいえ、全体的には満足したラウンドでした。こうして私は三次予選に足を進めるのです。

三次予選(7人→3人)

三次予選は二次予選の次の日です。もうここまで来たら、三次予選から本選に受かるかは運だなと思いつつ、楽しめそうな予感がしていました。なんたってシュトックハウゼンのピアノ曲Xがあるのですもの!

実際、舞台に上がったときも、おどけた気持ちでいました。デニソフの深淵な世界の後、いよいよシュトックハウゼンです。1ページを過ぎたあたり、両腕でのクラスターがご登場の瞬間、お客さんがざわざわしてくるのを面白がってからは、無我夢中で駆け抜けた幸せな20分でした。終わったあとのお辞儀、顔を上げると、最後列に座っていらっしゃる審査員の先生方が、手を上げて拍手してくださっていた、その光景が今でも忘れられません。もし仮に通過しないことがあっても、やりきった、と思える光景でした。

舞台裏に戻ると、例のカメラマンさんがびっくりした様子で、「すごかった…」と仰ってくださいました。直後にすれ違った審査員の方々も、こちらを見て頷いてくださいました。

結果発表のドキドキ感は、できるなら今後はあまり経験したくないほどにむず痒いものです。三次予選から本選に進めるのは3人。いくらやりきったとはいえ、本選に進めるかは疑問でした。私の後に演奏したコンテスタントが1人、技術的には私よりもずっと素晴らしい方だったので、演奏順からして2番目に呼ばれなければ脱落かな、と考えていました。

いよいよその時が来ました。1番目にマルーシア、2番目にHyeonjun、これはもうだめかな…と思いながら、3人目の発表を待ちます。呼ばれたのは、私の名前でした。呼ばれてから舞台に上がるまでに発せられたブラボーの声は、忘れることがてきません。

本選

予選が終わってから本選までは3日間のインターバルがあります。その間、アンサンブル課題曲ドナトーニの合わせも行われます。実は準備真っ最中の2017年夏、師匠を含めた席で杉山洋一先生と一度お会いしていた私は、ここで指揮者ー演奏家の関係として、再会を果たすことになるのです。

mdiアンサンブルさんとの合わせも和気あいあいと進み、いよいよ当日。会場はオルレアン音楽院からオルレアン劇場へと場所を移します。

1番目のマルーシアが演奏中、事務の方が焦って飛び込んできました。なんでもマルーシアがコンクール委嘱課題曲のパラを演奏中、ピアノの弦を切ってしまったそう。この作品、ものすごい内部奏法があるので、パラ用の2台目のピアノが用意されていたのですが、Hyeonjunと私は全てを1台目のピアノで弾くことになりました。

さぁ私の出番。最初はドナトーニからです。楽しくアンサンブルできた時間でした。

次のパラでは、自分の持てる力を全て放出、

その反動か、プログラムを締めるショスタコーヴィチでは、ずっと手が疲労から回復しないまま頑張ることになりました。

準備していた1年間ずっと、本選の舞台で、涙にくれながらショスタコーヴィチを弾くーなんて光景をイメージしながら練習していたので、最後の最後バテてしまったのは心残りではあります。ただ、用意してきたレパートリーを全て本番に出せたのは、本当に嬉しいことですし、また一つ大きな自信となりました。

3. 結果発表

当時このコンクールは、順位がつくのは第一位のみ、その他に多くの賞が用意されているのが個性的でした(2020年第14回からは第三位まで順位がつくように)。三次予選まで進めたので、何らかの賞はいただけるだろうと思っていました。後は優勝が誰になるのか…!

最初に、何らかの賞を授与されたコンテスタントが呼ばれました。本選に進んだ3人はもちろん、三次予選に進んだ4人のうち3人にも何らかの賞が与えられることが分かりました。

私が授与されたのは、以下の7つの賞です。

Prix de Composition « André Chevillion-Yvonne Bonnaud » 
一次予選で演奏した自作品に対する作曲賞(Hyeonjunとの同時受賞)
Prix Mention Spéciale - Claude Helffer
20世紀のピアノ作品演奏において多大な功績を残したピアニスト、Claude Helfferさんの名を冠した賞。
Prix Mention Spéciale - Edison Denisov
最も良いデニソフ作品の演奏をしたコンテスタントに贈られる。
Bourse en mémoire de Franco Donatoni
本選で最も良いドナトーニ演奏をしたファイナリストに贈られる。
Bourse de l’Association Foyer JOYEUX - Geneviève Joy / Henri Dutilleux
フランスFontebraud修道院にて、1ヶ月レジデンスアーティストとして活動できる賞。
Bourse d’étude de l’Ecole Normale de Musique de Paris - Alfred Cortot
パリ・エコールノルマル音楽院で勉強できる賞(上記の作曲賞に付随)。
Résidence de création au Studio éOle (Blagnac-Toulouse) 
Studio éOleへ滞在してプロジェクトができる賞(上記の作曲賞に付随)。

もしかしたら優勝も不可能ではないかしら…なんて思っていたので、悔しい気持ちはやはり残りました。それでも、直接的な演奏の機会が与えられる2つの賞(ドナトーニ賞、Fontebraud滞在)の両方をいただけたことは、嬉しかったです。全ての結果はこちら

結果発表の後、審査員の先生方や、聴衆の皆さまとお話しできました。特にドナトーニ夫人、デニソフ夫人とお話しできたことは、貴重な体験となりました。また、予選からずっと聴いてくださったご婦人が、私の演奏風景を絵にしてくださったものを見せてくださったり、いつも気になっていた素敵なご婦人とお話しできたり…コンクールを通してできた様々なご縁を温かく胸の中にしまいながら、期間中ずっと支えてくださったホストファミリーの元へと帰りました。

4. その後

激動の本選から約1週間後、パリのブッフ・デュ・ノール劇場で受賞者演奏会がありました。パリのお客様の前で、素敵な会場で演奏できたことは、良き経験となりました。

また、2018年6月には、ドナトーニ賞のおかげで、ミラノとフィレンツェでリサイタルの機会を与えていただいたり、2019年3月には、フランスFontevraud修道院を拠点として、リサイタルやワークショップを行わせていただきました。どれも、ヨーロッパの舞台で演奏できるという、当時日本で勉強していた私にとっては、本当に貴重な体験でした。このお話も、別の機会に記事にできたらと思っています。

5. おわりに

ここまで長い記事にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。このコンクールがきっかけで、その後様々なご縁が拡がり、コンクールを受ける前は考えられなかったような貴重な経験を、たくさん積ませていただいています。もしこのコンクールを受けたい!という方がこの記事に辿り着いてくださったとしたら、おせっかいな私から、できるだけ早く準備に取り掛かることをおすすめします。とにかく課題曲の数も重量もあるこのコンクール、悔いなく準備するには、ただただ時間が必要です。どんなに早く準備を始めても、早すぎるということはありません。

そしてもう一つ、コンクール、引いては人生のどんな出来事においても、自分が期待した通りの結果にならないことがあるかと思います。どんなに一生懸命練習したって、必ず良い結果によって報われるとは限らないのがコンクールです。しかし、そのとき望んだラストシーンが得られなくても、それは必要だから、必然的に起こったことだと、私は自分の人生をそのように考えています。どんな悔しい出来事も悲しい出来事も、ただただ必要だから起きているのです。「結果より過程が大事」なんて取ってつけたような文句は言いません。どんなこともありのままに受け入れ消化していくこと、導かれるままに歩んでいくことを、特に試験やコンクールで心を消耗してしまうことの多いかもしれない、若い学生さんやリトルピアニストさんたちにはお伝えしたいです。(すみません、エラそうに語ってしまいました…)

この記事が、現代音楽に真摯に向き合う未来のピアニストのもとに届きますように。

(6. 第14回コンクール)

2020年、第14回のコンクールは、感染症の影響により、4ラウンド制から、ビデオでの一次予選→現地でのセミファイナル・ファイナルとなりました。
10月28日のセミファイナル、10月31日のファイナルは、それぞれYouTubeでライブ配信されます。発表されている7人のセミファイナリストには、2人の日本人も!また、ファイナルのアンサンブル課題曲では、あのアンサンブル・コンテンポランのメンバーが、参加者と共に演奏します。ご興味ある方はぜひご視聴ください。

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