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小学校の思い出

(小話)
来月からイラストの仕事も決まった。依頼主たちは「こんな素晴らしいクリエイターがうちに来てくれるなんて!」と両手をあげて喜ぶ。大歓迎を受けている。SEの時と同じだ。
アニメーターやイラストレーターさんのnoteを見ては焦り、絵の練習を開始した。iPadの充電が100から0になるまで描き続ける。
遅い! 下手くそ! こんなんじゃ、こんなんじゃ…。
そんな気持ちで焦る。
苦しい時に描いてる絵は昔の自分の絵にそっくりで、苦い気持ちになる。

絵を描くこと、勉強すること以外出来なくなって
病気以外で10年以上振りに嘔吐した。


自分がいなくなる、という表現は難しいと思う。それは、記憶が途切れ途切れになるとでもいうのだろうか。
昔見たドラマを思い出す時に似ている。あんなシーンがあったはず、こんなシーンが好きだった。でも、それは連続していない。

当時「アルツハイマー」という言葉が流行り始めてテレビでもよくやっていた。
「私はアルツハイマーなのかな…お母さんも私の頭はおかしいっていつも言ってるし」と、当時は思っていた。
母は昔、私を色々な医療機関で検査させていた。絶対におかしいと。
でもどの医療機関でも私は正常だった。感受性が強い傾向はあるらしい。
母は、まだ医学では解明されていない病気だ、医者は役立たずだ、と舌打ちをした。
こいつは病気であるはずなんだ。こんなに頭がおかしいのだから。

そんな中でいつも思い出すのは、放課後、私がいつも何かを探して校内をうろうろしている姿だ。
カメラは私の背後からだ。
理科室に入り、ゴミ箱を漁る。
私の下敷きが捨てられていて、私はそれをランドセルにしまう。紙屑くらいしかゴミ箱に入っていないので汚れていないことにホッとしている。

クラスメイトたちが私の私物を隠したり捨てたりするので、毎日それを探して歩き回っていた。
記憶のカメラは私全体を捉えるよりも少し引き気味で、靴下で歩いているのが分かる。
上履きを隠されたようだ。

カメラが切り替わる。今度は少し頭上から。
そこは校舎裏で、ゴーヤがたくさんなっている。校舎の壁に這ったツルは根元がどこか分からないくらい伸びていた。
私は土を掘り返し、上履きを見つけた。
なんでそこにあると分かったのかは分からない。私が覚えているのはカメラからの映像だけだ。

もちろん見つからないものもある。
赤鉛筆はいつも筆箱の中から消えていたし、消しゴムもよくなくなった。
最初は母に赤鉛筆がないと訴えていた。
しかし、間隔が1週間、3日、1日と縮まっていくと、母は「良い加減にしろよ」とキレ始めた。仕方ないので毎日コンビニで盗んだ。

私は私ではなくなってから「みんな天使さまなんだ。私はそうじゃない」という宗教観で世界を見るようになった。
他の子が何をしたって赦される。でも、私は赦されない。

私が微笑み始めたのは、多分そこからだ。
カメラはいつも私の後ろ姿しか映さないので顔はわからないけど。私は、汚いとか気持ち悪いとか言われても、もう傷つかなかった。
何を当たり前のことを言ってるんだろう。そう思って笑った。

しかし、中学受験の話になった時、私は公立には行きたくないと言った。
公立に行けばほとんど今のメンバーのままだ。同じことの繰り返し。それは途方もないことに思えた。

-- 現在の話し

大人になった今、たまに聡い人がいて私のことをこう言った。
「嘘はついていないのに一貫性がない言動。俺は長く生きてるから、君はそうならざるを得なかったことがあったんだろうって思う。でもその一貫性のなさに無意識に気づく人は気になってしまう。それを追求するのはリンチみたいで、俺は気に入らないね」
今日書いているエピソード辺りから私には一貫性というものもなくなっているのかもしれない。

また、小学5年生の時にクラスのリーダー的存在になった子は多分ASD傾向があった。みんな平等であるべきだ。みんな一緒に遊ぼう。そして、断る権利はある。それが彼女のルールだった。
その主張のおかげで、私はクラスメイトと遊ぶことができるようになった。
嫉妬、妬み、寂しさ、安心、嬉しさ。今まで知らなかったことをたくさん吸収した。
大人になって何回か同窓会をした。
誰も私がクラスにいたことを覚えていなかった。
あなたがいたことは知っているのだが、授業などであなたがいた記憶がすっぽりない、と。
写真を撮る時も、無意識だろうか、私は外された。
大人になった今、みんなで集まったとしても集合写真以外で私の写真は撮られない。
(気のせいだと思っていたが、結婚式で第三者が私たちの写真を撮ったとき、言い逃れしようがないくらい私は避けられていたのだと気付かざるを得なかった)

-- 

中学を受験する。
当たり前だがテストを受けないといけない。私は殆ど授業に出ていなかった。勉強は壊滅的だ。
まず模試を受けてみた時、偏差値40あったかないかくらいだったと思う。
母は私を塾に入れてくれた。塾では国語と算数だけ習うことになった。

塾はマンツーマンで何回か先生が変わった。
最初私を受け持ったのは若い男の先生で、私のことを変だよと言った。
お母さんに反抗することが必要かもしれない、ちょっと無視してみたら、と。
私はその日の夜、母を無視…というか話さないようにしてみた。
夕飯の席で母がどんな顔をしたかは覚えていないが「どうしたの、何かあったんでしょう」と言われた。聞いたこともないような優しげな物言いだった。
「塾で…言われて…」
母は椅子を蹴り飛ばすように立ち上がり、すぐに塾に電話した。
「今の担当の先生をすぐに外してください」

大人って怖いなあと思った。
私はビデオデッキの時計を眺めながら、ずっと計算していた。それはいつもやっている遊びだった。
1秒ごとに数字が変わるので、次の1秒までに何パターンの計算式が出来るか自分の中で競う遊び。

先生は代わり、それから私の家のことに口を挟む人はいなくなった。
授業はやってるのかやってないのかわからない感じであまり面白くなかった。

面白いと感じたのは夏季合宿だ。
1週間の夏季合宿。朝から晩まで勉強だけしかしない。
私は最初1番下のクラス(成績順にクラスが組まれた)だったが、授業のテンポが早くて楽しく、寝る時間になってもまだ勉強したい! と思うくらい合宿が気に入った。
勉強だけしてればいいなんて、なんて気楽な世界だろうと思った。天国があったらこんなところかもしれない。

部屋は同じ塾の女の子たちで集められていた。同じ塾と行っても面識はないが。
お風呂の後の自由時間でアイスを買ってロビーで食べていたら、さっそく女子たちから嫌われた。
「誰もそんなことやってないのにどうしてそんなことしてるの!」
空気読めよというやつだ。
「やっちゃいけないとは特に言われてないと思うけど…」
「なんなの、勉強もできないくせに生意気ね」

そしてその後、私はお風呂用具を入れた袋を部屋の玄関先に置いて食堂に向かってしまった。
玄関先に荷物を置くのはルール違反で、食事の後「誰がやったのか手を挙げろ」「手を挙げないなら部屋のリーダーと話すからな」と先生たちが騒いだ。
私は玄関先に荷物を置いたことをすっかり忘れていた。

部屋に戻ると、さっきの子たちがすごい顔をして部屋を見ていた。まずい。これはよく知っている展開だ。私がやっちゃったのだ、と気付いた。
「なんでさっき先生に言わなかったの?! あなたじゃなくてリーダーの⚪︎⚪︎ちゃんが怒られるんだよ!!」
「忘れてたの」
「アイスなんか食べてるからよ。調子乗ってんじゃないわよ、それでまた怒られたらあんたどう責任取ってくれんの!」
部屋の空気は最悪だった。私はこういう時、黙ってることしか術を知らなかった。

また最悪なことに、私は4日目には1番上のクラスにいた。
5つクラスがあって、4日で4クラス抜きしていた。
この部屋で1番頭が悪い子だったのが、1番頭が良い子になってしまった。

よく怒る△△ちゃんは涙を流しながら「なんであんたなんかがっ! 不正よ! おかしいわよ! 絶対信じない!!」と、枕を叩いていた。

またまた最悪なことに、5日目に母から手紙が届いた。
私は部屋に居づらくなっていたので基本はロビーにいた。消灯時間が近づいて部屋に戻ると、私への手紙はすでに開封されてみんなに回し読みされていた。
「変なやつの親ってやっぱり変なやつね」
「うんこうんこってなんて汚らわしいの」
「本当に近づかないで、うんこが移るから」
何言ってんだこいつらと思って手紙を読むと、たくさんのうんこの絵と一緒に母の元気で大きな文字で「うんこしてるかー?!」「うんこしろよー!」と、何故かうんこうんこ書かれていた。
多分彼女なりの茶目っ気なのだろう。
子供はうんこが好きだろう、的な?

7日目、合宿が終わりバスの停留所まで母が迎えに来た。
塾から連絡が来たのだろう、娘が1番になったからご機嫌だ。娘もご機嫌なはずだと思ったろうに、実物は葬式のような顔をしている。
同じ塾の子達もバスから降りる。みんな荷物を私にぶん殴るように投げつけて「塾辞めてよ、あんたなんかと同じ塾に通いたくない」と言われた。

ふと冷たい空気を感じて横を見ると、そこにはいつもの母がいた。
うまくやれなくてごめんね…、そう思った。

その後受けた模試では偏差値が70以上まで上がっていたと思うが、合宿以外での勉強は進まず、また偏差値が下がっていった。大体60手前くらいに落ち着いていた気がする。
母の口癖に「やればできるくせに、なんでやらないの」「みんなこれくらいやってる」等が加わった。
人生は辛い。

何だか自慢話が続くようだけど、私は人気者になるために始めたトレーニングを継続していて、運動能力が高くなっていた。
区での代表に選ばれる競技に代表選手として選ばれたりしていた。
教室でも「なんであんたが」と泣く女の子が現れた。
誰々ちゃんの方が努力しているのに! なんで何もやってないあんたなんかが!!
女の子はいつも「誰々ちゃんのために」と言って何だかんだ怒りをぶつけてくる。正直、何で怒ってるのかよく分からなかった。
でも、努力していないと言うからには、みんな見えないところですごく努力しているんだろう…そう思って、トレーニング量を増やした。
クリスマスに腕と足に付ける5kgの重りを買ってもらい、自由時間はそれを付けて過ごした。

それでも、あんなのはうちの代表じゃない。と、言われ続けた。
天使様たちはみんなすごい。生きるのって大変だ。私はそう思いながら放課後走りたくもないのに、競技の練習のために走らされていた。
結果は敗退で、お前が出るからだとまた責められた。

それでも、私は天使様たちの中で生きていて、生きていることを許してもらっている。幸せだと思っていた。
触れば気持ち悪いと言われるが、一緒に遊んでくれる。こんな私なんかと。
天使様たちはなんて偉く、優しく、尊いのだろう。
世界が光って見えた。


受験が終わって、私は片道100分以上かかる山の中の学校に通うことになった。
今まで皆無に近かった自分の時間が合計200分できたこと、家にいる時間が短くなったことで、私の頭はすごい勢いで回り始めた。

何が天使様だ…

吐き気がした。
教科書を投げつけられても、物を捨てられても、ヘラヘラと笑っていた自分に。

通学中に「アルジャーノンに花束を」という小説を読んだ。
まるで自分のことが書いてあるようで苦しかった。
主人公はバカで、周りからからかわれていることも認識できない。それでも分からないから楽しそうにいつも笑っている。
知的に回復する薬を試用し、主人公はバカでなくなっていく。頭が良くなって不幸を感じ始める。
そして、主人公は「バカに戻りたい」と願い、元の生活に戻っていく。
そんな話だった(と記憶している)。

私の頭はカラカラと、回り始め、止まらなくなった。
そして数年後、バカに戻りたいと願うようになった時、この小説のことを何度も思い出した。

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