女性の時間
現在22歳。の私であるが、見た目や話し方、雰囲気トータル年齢は20代後半から30代前半に見られたり思われたりする。
おばさん!ていじられるのには慣れてるし、お水のママ系に見えると隣の席で飲んでたメンズに振られた時の返しもお手の物だ。
慣れは怖い。良く言えば大人っぽい。悪く言えば老けている。
お子さん幾つ?もあったかしら?
まぁ、私の実年齢に見られない談は掘り下げれば底なしなのでここまでにしておいて。
最近、ディスカッションを良くする。グループディスカッションもあれば、一対一でこれをするために会って何時間も一つのテーマについて話し合ったり。
私自身、小さい頃から好きなことだし、何より現在文章やアートを中心に制作をしていくためには幅広い層の人と話してどんな考えを持っているのかを知ることが何より私の糧になり、力になり材料になる。
先週の土曜日、「時間」というテーマで同世代とディスカッションする機会があって、時間について色々な考えを巡らせた。だから、今回は私がnoteで沢山書いて、日々考えを巡らせている「女性の時間」について書いていきたい。
まず、女性の身体で書いてきたこと。女性の身体は月の巡りで毎日変化し続ける。週ごとに変わる人も沢山いるだろう。それは精神的にも影響することだ書いてきた。
これを一生という時間に置き換えると。
子供から生理が始まることによって少女になり。
生理が安定して女性になり。
そこから、出産すれば母になり。
歳を重ねて生理が無くなって更年期女性になり。
やがて老婆になる。
そう、女性は精神的な熟成だけでなく、身体も一生で変化し、その身体の変化や見た目の変化は社会的立場に並行している。
この変化は女性の人生に大き過ぎる影響を与える。
私は子供がいつか欲しい。でも子供を妊娠出産出来る時間は実に限られた時間。高齢出産は、子供を育てていく過程と自分の身体が体力的に衰えていく過程が並行していく。
でも。
わたしには。
やりたいことが沢山だ。
仕事、恋愛、出産、子育て、人間としての成熟、そしてアートと日常を切り離さない世界にすること。
時間がなああああああああああい!!!!!
とにかく女性は時間と戦っている。
と感じる世の中だ。
歳をとることを楽しませてくれない世の中だ。
これは、歳を重ねることが体力的に衰えることだけじゃなく、その歳を重ねていけばいくほど、女性の存在を否定しているのではないか。
ということ。
若ければ若いほどいい。
これは私自身芸能という世界にいることも関係してそれを感じやすいのかもしれない。
タイムリミットが近づくことへの焦りは、芸能事務所にいた頃の方が感じていた。
どんどん若手が出て行く。もちろんその方が伸びしろがある。そして学生の役はどんどん遠ざかるし、受からない。オーディションを受けるにも年齢制限。歳をとることが怖かった。
では、芸能という若さを特別求める世界以外に生きる女性はというと。
例えば、私の友人に6年制大学に通う女性がいる。彼女が最近話すのは、卒業する頃には結婚適齢期だということ。それを見据えて、恋愛をして、就活をして、仕事をしなければならない。
結婚が軸になる彼女がその考えに至ることもわかる。
そして問題視される妊娠を煙たがる会社や寿退社という言葉。
じゃあ結婚や出産を考えない女性は制限が無くて自由なのか。
といえばそうとも言えなく、世間のそれをしなければならないと言わんばかりの視線。
お局という言葉。婚活パーティーやお見合いのススメ。
女性として生きる中で、年齢、時間というものがつきまとうことを感じる。
先日最近仲良くなったアート関係の仕事をする男性の友人に早く結果を出さなきゃって焦るんだよね、と話されたのだが、
いやいや!男の子!タイムリミットなんて自分でつけてるだけでしょ!こっちからしてみたら!
あん?!?!
という気持ちでいっぱいだった。
まだそんな歳じゃないよ〜と言うおじさんには、
あっという間に過ぎた5年を考えたらあと5年後の28歳なんて、光の速さでやってくるような気分だと言ってやりたい。
めちゃくちゃに嘆く今回。
だよね〜と思ってくれた方も、そうかな?と思う方もいるだろう。
果たしてこの女性のタイムリミットに打ち勝つことは出来るのか!!??
今回のnoteで出す答え。
それは、冒頭に話した私の実年齢より上に見られる話とディスカッションでの話がつながる。
そのディスカッションで出たワードとして、
「社会的時間」
というものがある。
これは、決められた社会に用いられる時間。時計の針やカレンダーにおける時間。令和がやってきたり、オリンピックがやってくるという予定が組み込まれた時間だ。
私たちは基本的にこの「社会的時間」によって生活をする。学校や仕事、社会と関わる時に使う時間だ。
私はこの中に
「女性の時間」
が含まれると思う。
結婚や出産や仕事などは社会と関わること、人と関わることで経過して行く時間だ。
じゃあその時間以外は何だろうと考えた。
発表します。
「人生的時間」
ネーミングセンスがないのは悪しからず。
これは自分自身の時計で動く時間だ。
ここに自分の身体の巡りや寿命、そして男性にも言えることだが、女性ではなく、自分自身として生きる時計、時間だ。
社会に生きる私たちはこの「人生的時間」と「社会的時間」を同じにして生きていたりもする。
学生をして就活をして社会に出て結婚して子供を産んで。その流れに沿って生きることは当たり前のことだ。
でも、その軸を社会に預けてはいけない。
社会、まわりと同じように時計の針を設定する必要なんて無い。預けた方が楽なのかもしれないとも思う。決めなくていいし流れに身を任せればいいから。
でもそれじゃいつまで経っても、「社会的時間」における女性のタイムリミットに縛られることになる。
女性のタイムリミットなんて社会が決めたことだ。それを変えるのが一番だけど、何より自分の人生を生きるのは自分しかいないのだから、まずは自分が別の時計を持って生きること。
結婚の時期や出産のタイムリミットは社会が決めたことだ。リスクが有ろうが無かろうが、出産は大戦争だということに変わりはない。
仕事もそう。どんな働き方をしてどこで働いたとしても、何を言われようが、生きるのは自分だ。
だから人間に旬なんてない。若いから旬なんて事は毛頭無い。ひとりひとり生きてる人生の毎日が旬だ。
私は「社会的時間」から離れたときから人生がより豊かに、楽しくなった。
自分の身体の巡りや体調を無理矢理「社会的時間」に合わせた結果壊れた私は、「人生的時間」の中にある自分の巡りに向き合った。これはストレスの原因に向き合うことだった。千葉から都内に通った高校生から大学生時代の身体や精神は無理をすることでぼろぼろだったけど、今自分のリズムを知ることで体調も良くなった。
そして、実年齢より上に見られるというコンプレックスは私の個性になった。その雰囲気や見た目に囚われない服を着るようになったし、変に大人ぶらなくなった。話し方や仕草も自由になった。
勿論、社会で生きる上でこの「社会的時間」から離れることは不可能。
そこで大切なのは、人と関わることを「社会的時間」と捉えるのではなく、
相手の「人生的時間」を共有するという自覚を持つこと。
恋愛においてだったり、友人であったり、人間関係を作る営みにおいて。
それは悪い「社会的時間」をなくすことに繋がる。
(結婚のタイミングや形は世間に合わせる必要はないこととかね)
これは、意味のない作りあげられた女性のタイムリミットなどの「社会的時間」を少なくしていくことの一歩だ。
「時間」には沢山の種類がある。
ひとつの時計で生きる人生は豊かじゃない。
そして、今回のテーマである「女性の時間」
女性として生きる私たちは社会に迎合した時間を過ごし生きる必要はない。
ひとりの女性、である貴方自身の時計で
女性を楽しんで生きて欲しい。
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